秩父事件の最近の記事

椋神社

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椋神社


 秋野菜予定地の耕うん続き。
 しかし暑さはやはり、危険な感じがする。

 晩生白菜の芽が出ないので、まき直し。

 写真は、椋神社。

作太郎地蔵

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作太郎地蔵


 朝から人間ドック。
 前夜からの断食とバリウム検査が面白くなかったのだが、終わってよかった。
 けっこう疲れたので、一日身体休め。

 写真は、下吉田村の作太郎地蔵。
 高野作太郎は、秩父事件当時30歳の木挽職。
 放火の罪を着せられて有期徒刑12年を宣告され、釧路集治監に送られてアトサヌプリ硫黄鉱山で外役させられた。
 16年間でのべ1370人ほどの囚人のうち、500人以上が死亡するという劣悪な環境のもとで彼も亡くなった。
 死んだ人はその場に埋められたが、その後、改葬の際に掘り起こしたところ、死者の足には鎖がついたままだったという。

 囚人労働を発案した井上毅は、大日本帝国憲法起草にも関わった伊藤博文の側近。
 囚人を使えば懲らしめにもなり、死んだら国費の節約になるから一石二鳥だ、ということを彼は、述べている。

 高野作太郎は、取り調べでずっと無実を主張しており、彼の犯行を証言した人物も、のちに証言の取り下げを願い出ている。

ササクレヒトヨタケ

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ササクレヒトヨタケ


 秩父事件の史跡めぐりを兼ねて旧下吉田村をウォーキング。
 実働3時間ほどだったが、サンダル履きで速歩きしたので、けっこう疲れた。

 彦久保次郎吉墓近くで、石段からササクレヒトヨタケが出ていた。

道標

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道標


 今日も旧ムクゲ公園で山林作業。

 午後は畑で農作業。
 秋野菜の片づけと耕耘。除草。

 今日もまずまず疲れた。

 加波山近くの山中で、こんな道しるべを見た。
 この日登ったルートは、長岡畷から加波山に至るメインルートだった。
 加波山事件を起こして興奮冷めやらぬ活動家たちが駆け下った道はここだろう。

加波山事件参加者墓地

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加波山事件参加者墓地


 旧ムクゲ公園で公園整備の手伝い。
 先日のかかり木は結局、自分で処理することができず、仲間にやっていただいた。
 その後玉切り。

 写真は、下館・妙西寺の加波山事件参加者墓地。

 明治17年9月、茨城・福島の自由党員たちが政府転覆を叫び、加波山で手製の爆弾を持って決起した。
 彼らは決起に加わるよう呼びかける檄ビラを地域住民に配布したが、呼応する人は一人もいなかった。
 やむなく下山したメンバーは真壁町の長岡畷で警官隊と戦い、双方に一名ずつの犠牲者を出して四散した。

 手配されたメンバーは全て逮捕され、ほとんどが処刑された。
 帝国議会は明治43年、「加波山事件殉難志士表彰ニ関スル建議案」を可決した。

沢戸遠望

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沢戸遠望


 早朝から雨の降り出しまで、農作業。

 いんげん豆の植えつけ終了。
 夏野菜植えつけ準備。ほぼ終了。
 ゴーヤや四角豆のためのヤグラ建てはまだ終わらない。

 きゅうりの植えつけ準備。
 ニラの植え替え。

 ビニールポットに四角豆の種まき。

 写真は、漆木山手前あたりから望んだ沢戸。
 耕地は少ないが、人家はとても多い(現住されているかどうかは別として)。
 かつては、それでも暮らしていけたのだ。

 奥山山村に暮らした人々を「農民」と定義すると、耕すべき土地がまったく狭小なのだから、階層別所有反別の表を作ればほとんどが「極貧層」に分類される。
 それでも十分に立派な屋敷が建ち並ぶ理由を、歴史学は説明していない。

小海町へ

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秩父暴徒戦死者の墓

 ちょっくら人に会いに小海町へ。
 待ち合わせ時刻にいくらか余裕があったので、馬流駅近くの秩父暴徒戦死者の墓にお参り。

 明治17年11月9日早暁。
 秩父困民党は、陸軍高崎鎮台兵と銃撃戦を交わして壊滅した。
 引き取り手のなかった異郷の若者たちを、ここの人々は丁重に葬ってくださった。

 昭和9年。
 事件50年を経て、この地に建てられたのがこの墓石である。

 墓地はいつ来てもきれいに清められ、ここへ至る道標は秩父市内よりずっと多い。
 人の優しさとは、いつまでも忘れない心のことなのだ。

椋神社

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椋神社

 秩父事件史跡めぐりの打ち合わせ。
 天気がどうにかもってくれたので、終わってから夕方まで農作業。

 らっきょう植えつけの準備。
 草むしり。

 写真は、椋神社の狛犬。

石間谷

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石間谷

 石間谷の秩父事件史跡を終日、歩いた。
 落合寅市・新井悌次郎・加藤織平・加藤太次郎・柿崎義藤・高岸駅蔵など。
 沢戸や半納まで足を伸ばすことはできなかった。
 沢戸のトバ口で見た風景。
 おそらく重機など使わずに積まれたこの石垣を見ると、底知れぬ人間の知恵に感嘆する。

 午後から寒冷前線が通ったとみえて、雨が少し降って、恐ろしく寒くなった。
 明朝の遅霜に備えて、インゲン苗に網をかけた。

新井周三郎

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新井周三郎墓所

(おれ) 久しぶりだな。景色が変わっちまって、あんたのお墓を探してウロウロした。
(周三郎) ご老人はどちらかな。
(おれ) 通りすがりのものさ。今日は車山に登って、氏邦のことを考えていた。降りてきたら、ちょうどここだったんで、寄ってみた。
(周三郎) 暇な人だな。近ごろの民の暮らしむきはどうだい ?
(おれ) ひどいもんだ。とはいえ、政治家の陰口を垂れるやつは多いが、あんたみたいに「圧政を変じて良政に改め、人民を安楽にするべし」と言って武器をとる人はいない。
(周三郎) 寝ぼけたことを言うな。立憲政治といい、自由な世界といい、おれたちの命と引き換えにやっと実現したもんじゃねえか。
(おれ) おれに言われたって困るんだが。
(周三郎) 肝の小せえ人だな。田代さんなんかとはえらい違いだ。政治っつうのは、理に叶い、法に叶い、情に叶わなきゃいけねえんだ。
(おれ) そう言や、昭和の時代にもそんなこと言ってた人がいたな・・・。

2023年8月

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