
強烈な季節風が吹き始めた。
本格的な冬到来。
昼間の気温も5度くらいまでしか上がらない。
朝から書き物少々。
大根の糠漬け。
家から直線距離にして300メートルほどの鷹谷砦に登ってきた。
この山に来たのは二度目。
登山口からすぐに頂上なのだが、急登なので息が切れた。
頂上までに空堀が三か所と、曲輪と思しき平坦地がいくつかあって、山城であることは確実だ。
頂上の石碑には、北条氏により築かれたと刻まれている。
樹林のため展望は今ひとつだが、木を伐れば谷が一望できる。
眼前に毘沙門山の大岸壁がいい感じだ。
現代人の多くは、「城」といえば江戸時代に作られた天守閣をイメージしてしまうため、戦争時に城が実際に機能した戦国時代にも、あのような城郭があったと勘違いしている。
しかし戦国の城郭は、武将が日常生活を送る場所ではなく、戦時(とくに包囲戦で守勢に立った時)に立てこもる、非日常的な場所だった。
だからそこにあった建物はもちろん、豪華なものではなく、武器や食糧を蓄えるとともに、いざというときには女性や老人や子ども(彼らは一括して「足弱(あしよわ)」総称された)をも収容するのが、基本的な目的だった。
武田の軍勢が、西上州・山中谷(現在の上野村)から鉢形領・秩父へ侵入する際の通り道にあたっているため、ここは格好の見張り場だった。
やや北方の日尾城には、山県昌景(武田四天王・のちに長篠で戦死)に攻められたが撃退したという口碑が残る。
現在の小鹿野町西部は、対武田防衛戦の最前線だった。
写真は、登山口近くから望む毘沙門山。
うちの裏山である。









最近のコメント