
着々と草むしり。
先日から頭にあった書き物の続き。
まだ書き終わらないので、今しばらく頑張る。
二日連続で、Runの日。
写真は、無水ボルシチ。とでもいうようなもの。
水を使わずトマトで煮ている。
大量に作ったビーツだが、よく食ったので、そろそろおしまい。
着々と草むしり。
先日から頭にあった書き物の続き。
まだ書き終わらないので、今しばらく頑張る。
二日連続で、Runの日。
写真は、無水ボルシチ。とでもいうようなもの。
水を使わずトマトで煮ている。
大量に作ったビーツだが、よく食ったので、そろそろおしまい。
今週は雨が続く予想なので、植えずに放置していたバックアップ大豆を植えてみた。
ほとんど期待しない。
ビーツの種まき。
去年、8月26日にまいたのは遅すぎたのだが、今年はどうかな。
草むしり。
薪作り少々。
御飯岳から下山後、嬬恋村の鎌原観音堂へお礼参りした。
観音堂は斜面に立っていて、とくに高台にあるというわけではない。
土石流が襲来したときにここに避難した人がいたのは、まさに観音堂だったからだろう。
当時は写真の石段の下にまだ石段が続いていて、下部からは避難してきた二人の女性の遺骨が見つかったという。
鎌原村は土石流によってほぼ完全に埋没したのだった。
隣接する嬬恋郷土資料館も見学。
発掘調査によって出土した日用生活品は生々しかった。
退勤後、ネギ土寄せ。
土寄せはこれで完了。
さつまいも予定地は今まで草だらけの荒れ地だったので、管理機で耕した。
まだ石が多いが、少しずつ改善するつもり。
じゃが芋・人参・ビーツができ始めた。
ビーツは、夏蒔きだといいのができなかったのだが、春蒔きだととてもよくできた。
飯田の松坂から吉田町の千鹿谷まで歩いてみた。
松坂から宮戸へは、戦後まで、天神峠という道が使われていた。
レジャー施設ができたために、峠道の一部は完全に消滅した。
今日は、レジャー施設から尾根と古い道を繋いで千鹿谷まで行ったが、これが天神峠の道だったかどうかは、わからない。
下山後、畑仕事。
昨日の暴風で吹っ飛んだマルチの修復。
資材小屋の再手直し。
ジャガ芋予定地の耕うん。
ビーツの種まき(直播)。
写真は、松坂天満神社。
春ごろに、捕虜になったロシア兵が泣きながらボルシチを食べてる映像を見た。
自分もボルシチ作ろうと思い、夏にビーツの種まき。
まく時期がチト遅かったと見えて、あまりいいのはとれなかった。
ともあれ、ボルシチもどきを食べることはできた。
赤すぎて怖いくらいの食べ物だ。
コロナワクチン5回目。
今日も草むしり少々。
ビーツの種まき。
大根予定地Aは、諸般の事情を勘案して、いちご予定地に変更。
写真は引き続き、金山の花たち。
公式発表で35.1度と、暑い日だったが、今日も草むしりと芋掘り。
スタールビーをようやく1うね掘り上げた。
あと3うね残っている。
ジャンボニンニクが枯れてきたので、掘り上げ。
ジャガイモと違って、陽光に当ててもさほど劣化しないので、とりあえず畑に放置してある。
今年は、2うね作ったので、30個近くのジャンボニンニクがとれた計算になる。
ちなみに、この秋のニンニク予定地は、今、ジャガイモの茎葉や刈草を埋めている場所である。
ニンニクは、多肥を必要とするが、微量養分をなるべく補給したほうがよいように思う。
そのため、ニンニク予定地には、刈草や生ゴミなどを数か月間投入して、有機質の多い壌土を作るように心がける。
小麦が熟しているが、刈る暇がない。
スズメにお布施するのは面白くないが、やむなし。
『地域学のすすめ』、『だまされることの責任』、『原水協で何がおこったか』の読書ノートを追加。
両神村から、戸蓋峠を越えて小鹿野町まで歩きました。
車で走ると、けっこうな距離なのですが、歩くと意外に近いのです。
いただきものはありませんでしたが、ともかく、山道を歩けたので、気分爽快でした。
山から、畑に直行。
先日来、苦戦を強いられてきた大石の除去に成功。
ジャガイモの植えつけと、ビートの種まきをこなすことができました。
本日も、野良で日暮れを迎えました。
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