今まで使っていたチェンソーの具合がどうも改善しそうにないほど悪いので、ついに買い替えた。
これは15年使った。
毎日とまではいかないが、よく働いてくれた。
今度のはややパワーのある機種。
伐木などやれるのは、年齢的にあと10年くらいだろう。
今まで使っていたチェンソーの具合がどうも改善しそうにないほど悪いので、ついに買い替えた。
これは15年使った。
毎日とまではいかないが、よく働いてくれた。
今度のはややパワーのある機種。
伐木などやれるのは、年齢的にあと10年くらいだろう。
午前中、旧ムクゲ公園で環境整備。
帰宅後、薪作り少々。
不調のチェンソーだが、ガイドバーを交換した。
切り口が曲がることはなくなった。
絶好調というほどではない。
写真は、網代城山から遠望した筑波山。
チェンソーの修理ができた。
とりあえず復活してほんとによかった。
発動機という文明の利器に、感謝。
一方、管理機も不調で、修理に出した。
写真は、塩沢・宇賀神社の狛狼。
春真っ盛りになり、山林作業も暑くなった。
明日は山仕事を休んで、畑や家の仕事をする。
ナス苗購入・植替え。
今年のナスは、苗を買った。
写真は、世良田東照宮。
仕事がもうすぐ終わるというところで、チェンソーのナットが一つ脱落して、使えなくなった。
新しいナットを買ってきて修理したから無問題なのだが、チェンソーがないと生きられない。
大事に使わねば。
征夷大将軍になるにあたって、徳川家康は自らの出自が問題になると危惧した。
将軍を任命するのは天皇だが、天皇を取り巻く公家たちは、権力も財力も持たない代わり、「先例」や「血筋」こそ最高の価値と信じていた。
「徳川? 誰それ?」と言い出しかねない公家たちを黙らせるため、怪僧天海は、「徳川(松平)家は新田義貞の子孫である」といいう物語を史実にすることを考えついた。
新田氏の系図は書き換えられ、天海は日光の東照宮を群馬県尾島町(現太田市)に勧請して世良田東照宮を造営した。
江戸時代以前のものではないが古い建造物で、歴史は書き換えられるということを象徴するモニュメントである。
チェンソーのスタータがバカになっていたので修理してもらった。
きれいになって戻ってきたのはありがたかったが、エンジンがかからない。
プラグを交換したが、相変わらず不調。
チェンソーの調子が悪いと、生活がままならない。
鉢の福寿草が咲き始めた。
剪定枝をいただける話があったので、いただいてきた。
たぶん、ユリノキとヒマラヤシーダー。
いくらか割り始めたが、氷点下ではないものの、真っ昼間なのに1.5度しかなく、ちぎれた雪雲が飛んできて時おり、風花を舞わす。
本格的な寒さがやってくるのはこれからだと言われると、ちょっと怯む。
今日も家ラーメン。
鹿の煙蒸しをトッピングしている。
知人のハンターが処理しただけあって、いい肉だし、味つけもよくできた。
いただいた枝は、相当な難物が多く、かなり苦戦したが、それなりにはかどった。
ソーチェーンが研いでも切れなくなったので、交換した。
早朝の気温は氷点下4から5度といったところだが、昼間の気温が10度を超えた(今月2度目)ので、一気に春めいた。
そのせいか、畑に出ている人の姿が多い。
朝から薪用の雑木伐り。
きのこに使えない雑木をいただけることになったので、近くの里山で玉切って自宅に運び、薪を作った。
来年用の薪はまだ十分でないので、薪が手に入るのはありがたい。
とはいえ、たいへんな重労働だった。
午後、畑に行って農作業。
第三次落ち葉堆肥の第一回切り返し。
玉レタス予定地の耕耘とうね立て、マルチ張り。
冬から春にかけて、ほぼ毎週チェンソーを使う。
当然のことだが、ソーチェンの刃は研がなければすぐに切れなくなるから、刃研ぎは毎日の仕事となる。
チェンソーは丸ヤスリで研ぐのが基本だが、研ぎ方がヘボだと役に立たないし、たいへんに時間がかかる。
そんなわけで今年から、電動チェンソー刃研ぎ機を使っている。
これだと、研ぎに必要な時間がずいぶん短縮できる。
ただし、使い方にコツがあるようで、ヤスリで丁寧に研いだほど切れるようにはならない。
故障したチェンソーだが、修理費が購入費とほぼ同額になるとのことだったので、長く使ってきただけに残念だったが、修理を断念して買い換えることにした。
壊れたのは、ホームセンターで買ったK28という機種だが、10年近く使い倒したので、悔いはなし。
その後、農機具屋さんに行って、K28の後継機種らしきモデルを注文してきた。
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』の読書ノートと昨日の簑山山行記を追加。
チェンソーを修理に出した。
クリの玉切りは当分できなくなった。
もう少し書き加えたいところもあるが、『アウトローの近代史』の読書ノートをとりあえず追加。
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