経済とか財政について

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 財政の役割が、景気対策だけでなく、国民生活を左右する重要なテーマとなったのは、戦後からかと思う。戦前日本の財政には、国民(そもそも「国民」など存在しなかったのだが)の生活を保障する役割が存在しなかった。

 * 21世紀を四半世紀過ぎた今も、日本財政の目的は変わらず「成長戦略」であり、財政の目的として、国民生活は一義的でない。「経済成長が実現すれば生活もよくなるのですよ。知らんけど」が基本である。

 戦後、西側の一部で「福祉国家」がめざされたのは、ソ連・東欧の存在に対抗しなければならなかったからだ。
 ソ連における計画経済(それを「社会主義」と言えるかどうかは別として)が順調であるかのように言われ、経済的な平等が実現されているかのような幻想が宣伝された。資本主義経済の醜悪な矛盾を解決するのは社会主義だと信じた人々の多くは、ソ連・東欧・中国の現実を知らないまま、社会主義を実現しようとする政治運動に飛び込んだ。

 体制側としても、経済成長のおこぼれが、消費生活や社会福祉の向上につながるのだという理論で対抗せざるを得ず、そうすると理論は、事実によって証明されねばならなかった。「ゆりかごから墓場まで」を実現しなければ、社会主義陣営によって足元が掘り崩され、体制の危機につながりかねないと思われた。

 しかし1980年代、ソ連経済が破綻寸前だということが明らかになり、中国もまた、(文革によって)資本も技術もなにもない、焼け野原のような状態だということが明らかになれば、「福祉国家」は必要なくなって、レーガンとサッチャーによってごみ箱に捨てられ、「新自由主義」という名の、荒涼たる世界が現出した。日本では、2000年代に入って竹中・小泉政権がそれを追い、民主党政権も基本的に、竹中・小泉政権の「小さな政府」と方向を同じくした。

 グローバルに世界市場を支配する資本に対抗しうる理論を描いてみせたのは、ピケティだった。彼の理論は、2010年代の世界に対して、有効だった。
 しかし今、彼の理論だけで世界経済を切り分けることはできないと思う。この10年少々の間に、GAFAMが世界中の個人個人のすべてを掌握し、個人個人の経済活動を支配することになるとは・・。付言すれば、中国のテック企業もいま、GAFAMに匹敵する実力を持ちつつあるのではないかと想像される。

 日本の首相は愚かなトランプにしがみつき、一方、共産党の最高幹部は「共産主義になれば自由が得られる」と意味不明なことを口走る。「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽に往生できるから突っ込めと教えて民衆を一向一揆に導いた特権坊主と、志位さんが重なって見える。
 われわれの前に、とのような選択肢が残されているのか。時間を逆戻りさせることができない以上、愛あるテック・AIとともに進むしかないのかも知れない。

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