考える前提

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 多くの(一般の目にふれる範囲に限れば「すべての」といってもよい)自然科学・人文科学の議論は、自然環境が今後も持続するということを前提に組み立てられているかに見える。
 あらゆることを論じるすべての論者は、地球の気温が人類を含む多くの生物の生存に適する範囲内に維持されることを前提とし、地球大気の組成が、現状とほぼ同じに維持されることを前提とし、現在の海と陸を創造してきた造山運動がドラスティックに展開することはないということを前提に、論じている。
 これら前提事項が近い将来に崩壊しない保障はない。もっと率直に言うなら、地球の自己運動・自己展開は、過去に停止したことはなく、いまも進行している。それを見ずして議論するのは笑止なことだが、多くの自然科学・人文科学も、そのことに目をふさいだまま甲論乙駁に明け暮れている。
 留意しておかねばならないいくつもの前提を敢えて無視し、ある特定の条件下においてのみ真であるような議論に、どれほどの意味があるだろうか。素晴らしく精緻な理論体系を構築したオーソリティを有する学者がいたとする。その人が立論にあたって依存してきた「公式」が間違っているのではないか、と指摘されたら、その人は、「それを言っちゃあ、おしまいよ・・」と述べることになるのではないか。
 そうなれば、彼のオーソリティに依存して議論を組み立ててきた多くの学者の議論は一瞬にして、正当性を失う。
 「少しでも疑問の余地のあるものはすべて、まったくの偽であるとして棄却すべきだ」 と述べた、デカルトの強靭な理性を前にしても恥ずかしくないような議論をすべきだと思う。

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