
柴岡熊吉は、秩父困民党の会計副長。事件当時47歳。
困民党総理だった田代栄助の側近で、栄助の意を受けて活躍した。
大宮郷(秩父市中心部)を占拠した困民党は、市内の豪家に軍資金の拠出を求め、酒造業者には炊き出しを依頼した。「自由党幹事」を名乗って矢尾商店(現在も百貨店と酒造"秩父錦"を営業中)を訪れた熊吉の言葉を、番頭さんが記録している。
「このたび、世直しをして政治を改革するために、このように多数の人々を集めたわけなので、こちらのお店では、食糧の炊き出し方をよろしくお願いしたい。さて、高利貸のように不正な行いをする家以外は壊したり焼いたりすることは決してしない。また高利貸の家を焼いたとしても隣の家には絶対に損害を与えないから安心してほしい。われわれの仲間で、不法なことを言ったり乱暴する者がいたときには、ただちに役所に届けてもらえれば、それぞれ処分するので、ご了解いただきたい。そういうわけなので、こちらのお店では、安心して開店し、普段どおり営業に励んでいただきたい」
張り切りすぎるほど張り切っている、熊吉の表情が目に浮かぶ。
事件後、捕まった熊吉は、凄惨な拷問を受けたと伝わる。軽懲役八年の判決を受けたが、在獄わずか一年で獄死した。
生家近くの墓地に葬られたが、墓所はいま、草に埋もれていた。
墓石は丸い小さな自然石で、名前も刻まれていない。
草相撲の力士で、四股名を、近戸川熊吉といった。
ゆかりの者ではないのだが、これではあんまりなので、ちょいと墓掃除をしてきた。
熊吉はほんとうに頑張って生きたと思う。
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