
朝からしいたけほだ木の伏せ込み。
大麦の脱穀と調製。
鳥かねずみに食われて、収穫なしかと思っていたが、味噌を作るくらいはどうにかとれた。
午後から畑仕事で、ごま予定地のうね立て。
玉ねぎができ始めたので、収穫少々。あまりに豊作すぎて、収穫がたいへんだ。

朝からしいたけほだ木の伏せ込み。
大麦の脱穀と調製。
鳥かねずみに食われて、収穫なしかと思っていたが、味噌を作るくらいはどうにかとれた。
午後から畑仕事で、ごま予定地のうね立て。
玉ねぎができ始めたので、収穫少々。あまりに豊作すぎて、収穫がたいへんだ。

ごまや夏野菜予定地を耕した。
ひまわりを支柱に縛った。
ちょっと疲れたので、畑仕事はそこまで。
風呂用薪作り少々。
しいたけほだ木の伏せ込み。重労働なので、途中まで。
写真は、三峯山で見たコミスジ。

二日間、秩父事件史跡のガイドをしていたので、畑仕事ができず。
ご近所からツトッコをいただいた。

終日、農作業。
のらぼう・ほうれん草・チンゲン菜のあとを片づけ。
さらに粗く耕した。
本日のいちご10個。
そろそろごまの種まきをしなければ。
写真は、三峯山登山道わきで見た、ミヤマクマワラビの林床。

更埴市の三峯山へ。
山頂には芝生が張られ、展望台もできているのだが、高曇りのため、遠くの山はほとんど見えなかった。
山頂にいたナミアゲハが「こんな日もよくあるよ。またおいで」と慰めてくれた。

きゅうり小苗の植えつけ。
夏きゅうりの植えつけはこれで終わり。
草むしり。
夏の雑野菜・大豆予定地を耕うん。
春人参がほぼ完成。
玉ねぎ・じゃが芋もできてると思うので、まもなく、華麗(加齢)な毎日が始まる。

今日も一日、農作業。
草むしり。春いんげんのメンテ。
いんげんの花が咲き始めたから、あと半月ほどでとれ始めるだろう。
ミニトマト挿し木苗の植えつけ。
ルバーブの収穫。
帰宅後、ジャム作り。
ビニールポットに落花生のバックアップ種まき。
先日脱穀した大麦の第一回唐箕かけ。
春先に種まきした菜っ葉類をほぼ食べ尽くした。
秋まきの残り種の松本冬菜もよくできたが、そろそろ終わり。
とてもよい小松菜なので、秋にまた作ろう。
安易な麺つゆ漬けだが、風味もよい。

終日、農作業。
いちごに掛けた網外し。途中まで。
今日は8個。いちごはそろそろ終了だ。
めんどくさいので、今年は植え替えをしないつもり。
刈った麦株の処理。
掘り起こして埋めておけばいずれ消えるのだが、穴を掘らなければならないので、そこそこ力仕事になる。
麦刈りはまだ終わってないので、続きをいくらか刈った。
雑草は梅雨入りから梅雨明けにかけて、絶望的に伸びる。
雨降りだとこちらとしては手も足も出ないのだが、そこが雑草のつけ込みどころとなる。
雨だからといって何もしないでいると、雨がやんだときには手のつけようがないほどはびこって、殺人的な猛暑とヤブ蚊の群れが雑草に助太刀する。
雨のやみ間になるべく多く、防草シートを掛けておいたほうがよい。
写真は、米山のイワカガミ。

雨がやんだので、午後から農作業。
雑草が本格的に伸び始めた。
晴れれば酷暑になるので、肌寒い陽気はむしろありがたい。
自宅では火を燃した。
草むしり少々。
落花生に掛けておいた網を外した。
モグラが種を食ってるわけではないが、地下にトンネルを掘るので、せっかく芽が出ても枯れてしまう。
自宅で育苗したほうがいいかも。
写真は、米山のブナ林。

昨日刈った麦を脱穀した。
いつもはしっかり干してから脱穀するのだが、ほぼ麦わらしかとれなかったので、場所ふさぎなので、処理してしまった。
案の定、ひどい不作だったが、来年用の種くらいはとれた。
午後、麦刈りの続き。
途中まで。
終日、麦仕事の一日だったが、収穫はほぼ皆無。

大麦の刈り取り。
鳥かねずみに食われたので、大不作。
刈らないわけにいかないので、途中まで。
畑が乾いているので、潅水。
春いんげんの調整。いちご15個。
写真は、米山から望む妙高連山。

中越・米山へ。これで6回目。
モヤがいくらかかかっていたが、晴天。山頂から日本海が望めた。

アスパラ小苗の植えつけ。
各種潅水。
つくね芋に支柱立て。途中まで。
チンゲンサイの片づけ。ほうれん草の片づけ。途中まで。
写真は、離山から望んだ浅間山。

柴岡熊吉は、秩父困民党の会計副長。事件当時47歳。
困民党総理だった田代栄助の側近で、栄助の意を受けて活躍した。
大宮郷(秩父市中心部)を占拠した困民党は、市内の豪家に軍資金の拠出を求め、酒造業者には炊き出しを依頼した。「自由党幹事」を名乗って矢尾商店(現在も百貨店と酒造"秩父錦"を営業中)を訪れた熊吉の言葉を、番頭さんが記録している。
「このたび、世直しをして政治を改革するために、このように多数の人々を集めたわけなので、こちらのお店では、食糧の炊き出し方をよろしくお願いしたい。さて、高利貸のように不正な行いをする家以外は壊したり焼いたりすることは決してしない。また高利貸の家を焼いたとしても隣の家には絶対に損害を与えないから安心してほしい。われわれの仲間で、不法なことを言ったり乱暴する者がいたときには、ただちに役所に届けてもらえれば、それぞれ処分するので、ご了解いただきたい。そういうわけなので、こちらのお店では、安心して開店し、普段どおり営業に励んでいただきたい」
張り切りすぎるほど張り切っている、熊吉の表情が目に浮かぶ。
事件後、捕まった熊吉は、凄惨な拷問を受けたと伝わる。軽懲役八年の判決を受けたが、在獄わずか一年で獄死した。
生家近くの墓地に葬られたが、墓所はいま、草に埋もれていた。
墓石は丸い小さな自然石で、名前も刻まれていない。
草相撲の力士で、四股名を、近戸川熊吉といった。
ゆかりの者ではないのだが、これではあんまりなので、ちょいと墓掃除をしてきた。
熊吉はほんとうに頑張って生きたと思う。

きゅうり小苗の植えつけ。
植え残していたつくね芋とこんにゃくの植えつけ。
冬越し人参の片づけ。
風呂用焚き付け作り少々。
鷹繋は雨降りだったのだが、足元にモミジガサが出ていたので、ゆっくり摘み草しながらの下山した。

北軽井沢の鷹繋へ。
登り出すと雷が鳴り始め、山頂でラーメンを食べていたら、本降りになった。
ここの桜草は、咲き始めたばかりだった。
帰りに畑でいちご摘み。今日も20個。

さつま芋予定地のうね立ての続きをやっていたら、大きな石がでてきて、それを掘り出すのに疲労困憊した。
情けないが、本日の農作業はその程度。
昨日、梅を剪定した。
梅枝の処理。途中まで。
写真は、離山に咲いていた桜草。

朝から農作業。
草むしりと、種まき後、芽が出なかった落花生・大角豆の補植。
そら豆ができ始めた。

朝は身体休めと原稿書き。
午後は農作業。
オクラの種まき。
瓜類の種まき追加。
潅水。
にんにくのトウが立ち始めた。
球根を太らせるため、トウは切る。
にんにくのトウとは、いわゆるにんにくの芽になので、炒めて食べる。
アカショウビンの声が聞こえた。
梅雨が来る予告だ。
いちご20個。

朝から東京・谷中で、秩父事件と自由民権運動関連の史跡めぐり。
とても充実していた。
巡検終了後、科学博物館に行って超危険生物展を拝観。
「超」がついているのは、実際のところ超危険な生物に関する展示だからだった。
展示そのものは面白かったが、自分的には、身近な危険生物に関する知見を深めたいと思っていたので、少し違っていた感じだった。
自分の身近な危険生物と言えば、哺乳類では熊と猪、爬虫類ならマムシとヤマカガシ、その他ヤマビルくらいだから、さほど危険でもないのかもしれない。

朝から農作業。
草むしりと石拾い。
さつま芋予定地のうね立て。途中まで。
午後は身体休め。
玉ねぎの大収穫が予想されるので、まだ熟してないが、どんどん食べ始めている。
焼き玉はいいんだが、ちょっと油っぽすぎるかも。

軽井沢の離山へ。これで二度目。
この前来たときには小雪が舞っていたが、今日は快晴。
ぽくぽく歩いていたら、木の上から「何しに来たん?」と声がかかった。
ゴシゴシ鳴かないので、日本のリスだと思う。

自宅壁に、小動物が屋内に入り込む穴が空いていたのを近所の人が直してくれた。
ありがたい。これでいくらか安心できる。
午前中、秩父市へ出かけてイベントの資料作り。
夕方、畑に行ってキャンディランタンの植えつけと潅水。
写真は、布引観音参道の大ケヤキ。
参道上部ではケヤキの大木が目立った。

昨日来の強風で、畑のあれこれが吹っ飛んだので、修復。
里芋の芽が出始めたので、掛けてあった防草シートを外した。
草むしり少々。
チェンソー研ぎ。ナタ研ぎ。
ボイラ用焚き付け作り。
写真は、布引観音の小堂。

雨がやんだので、午後から畑仕事。
ねぎの土寄せ。
除草以外のねぎのメンテは、これで終わり。
風が強くてたいへんだった。
いちご23。
部落の代表が昨日、各種御札を受けてきてくれた。
近所で熊が出ているのだけれど、大口真神は、熊もとってくれるんだろうか。

午前中、八十八夜のお日待ち。
午後、農作業。
ほぼずっと草むしり。
写真は、布引観音登山道わきで見た滝。

朝から書き物。
午後から畑仕事。
いちごのねずみ対策をしなかったうねで、いちごは一粒残らず食われていた。
いちごを食害してるのはねずみだと思う。
うちのいちごはとちおとめなのに小粒なのは、摘果してないからではないかと思われるので、摘果とランナー切り。
これでどうにか、いいいちごが食えるか。
本日のいちごは29個。
写真は、布引観音入口に立つ、牛頭尊。
布引観音は「牛に引かれて善光寺参り」の説話の舞台になったお寺なので、入口に牛頭尊があるのだろう。
秩父から西上州を経て佐久に至る十石街道沿いにあるのはほぼ、牛頭尊だ。
輸送手段として、馬ほどのパワーはないが、大人しくてよく働く動物なので、愛されていたのだろう。
仏教に牛頭観音は出てこないが、日本人の牛への愛情が形になった感じ。
なお、石仏の表情からして、モデルは女性だろう。

ほぼ終日、雨降りのため、自宅でイベントの資料作り。
昨日はご朱印をいただこうと釈尊寺に行ってみたら、お寺は留守で、ハチワレ君が「よく来たね」と迎えてくれたのだった。