
秩父郡下日野沢村の新井チヨ(19)は、頭痛持ちだった。彼女は、三波川妹ヶ谷の不動尊へ頭痛治癒の祈願をしてみたところ、霊験あらたかにて快癒したらしく、お礼参りに行こうと考え、群馬県上日野村の小柏ダイ(29)と自宅近所の黒沢ウラ(30)に声をかけ、明治17年11月2日に、三人連れ立って出かけた。
三人連れが歩いた道ははっきりわかっているわけではないが、格別変わった道を行く必要はないから、当時もっとも一般的だったであろうルートを行っただろう。
彼女たちはまず、チヨとウラの家がある小松集落を朝早く出立した。朝が早かったというのは想像だが、下日野沢から三波川の不動尊に行くには、健脚でもまる一日はかかるから、当然、朝は早くなければならない。チヨとウラの家がある小松集落から、彼女たちはまず、矢納村との境界にあたる風早峠に向かった。小松沢の細流に沿う昔の峠道は今、ブル道となっていて、当時の面影はない。風早峠から矢納村へ下っていくと、浜の谷集落・高牛集落・鳥羽集落を通る。ここまでは、チヨ本人が述べているから、間違いない。矢納村の先は今、神流湖によって道が寸断されているから、どこを通ったかやや不明だが、神山の南を巻いていくルートがもっともリーズナブルだろう。
神山の南を下っていけばそこはもう、坂原村である。神流川を渡った先が、高瀬集落になる。不動尊へは、ここから法久集落を通り、石神峠へ登っていく。今は川沿いに国道462号線が走っているが、普通の歩行者はもっとも近くて楽に歩ける道を行く。明治30年測量の地形図には、高瀬からトラバースしながら露久保、さらに法久へ続く破線路が記されている。お参りが目的で、格別の足達者でもなかった若い三人の女性はもっとも一般的な道を行っただろうから、彼女たちが通ったのはこの道だろう。
その日彼女たちは夕刻、三波川に着いたが、日の短い季節だったため、その日はダイの知人宅に泊めてもらい、不動尊へは翌朝お参りしたのち、チヨとウラは下日野沢村へ戻ることにした。ダイの家がある上日野村は、三波川から小柏峠を越えた日野の谷にある。ダイがまっすぐ帰宅するなら二人とはここで別れるべきなのだが、チヨとウラは、帰りの道がわからないと言う。そこでダイは、それじゃ送ってあげると言って、再び三人で石神峠へ登り返し、坂原村まで下ってきたところ、酒屋の前で警官により三人とも逮捕された。
黒沢ウラはまったく無関係だったが、ダイとチヨは秩父困民党の関係者だった。その後の取り調べで、チヨは、驚くべき供述を始める・・。
高瀬から露久保までの道は今も地形図に記載されているが、現状はほぼ廃道。しかし、部分的にははっきりした道型が残っていて、三人連れが歩いた当時をしのばせる、こんな石祠もある。露久保から法久への破線路は入口がまったく不明で今日は立ち入ることもできなかった。
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