朝、通院してからほぼ終日、農作業。
いちごに潅水。
2026年になってからまだ、2.5ミリしか降雨をみていない。
ひどい渇水だ。
畑に水道とかはないので、すべて雨水を利用しているのだが、秋までにためておいた雨水はほぼ、使い果たした。
週末に雪が降る予報なので、それに期待する。
以下は昨日の新井チヨに関する話の続き。
新井チヨは当時、祖母のイカ(73)、母のゲン(45)、兄嫁のキク(24)と暮らしていた。兄の蒔蔵(21)は重木(隣集落)の村上泰治(17)が密偵殺害の疑いで逮捕されたとき、泰治を救おうとして抵抗し、以来、抗拒罪で指名手配されていたので、自宅にはおらず、群馬県天引村に潜伏していた。
ダイは、群馬県上日野村の板割職人・小柏常次郎の妻だった。息子梅吉は前夫秋畑村田村藤吉の子で、9歳だった。常次郎は久しく留守だったが、10月31日に神奈川県の柏木太郎吉が自宅を訪れ、山で泊まり込みの仕事なので、毛布を持ってきてほしいという夫の伝言を伝えた。そこで11月1日に、城峯山で夫と待ち合わせて毛布を渡し、その日は新井蒔蔵宅に泊めてもらった。ダイはキクと親しかったので、チヨもまた、ダイと親しくするようになっていた。
群馬県国峰村の遠田宇市が「どこからでもいいから刀を借りてきてくれないか」と言ってきた(時刻は不明)ので、明治17年11月1日(妹ヶ谷不動尊参りの前日)の午後15時に、ダイとチヨは二人で、重木集落の加藤重三郎(21)と卯八(姓不詳)の家からつごう3本の刀を借りてきた。刀は、チヨ宅の床の間においておいたら、誰かが下吉田村に持っていったらしい。
この日、下吉田村では、秩父困民党の武装蜂起を夜にひかえ、午後にはすでに、警官隊と困民党軍との戦闘が始まっていた。困民軍側では、柏木太郎吉ほか1名が警官に斬られて死亡し、警官側にも死者が出ていた。チヨたちが借りてきた刀は、困民軍の武器となった。ダイの夫・常次郎は困民党の小荷駄方に任命され、困民軍のロジスティクスを担った。チヨの兄・蒔蔵は、潜伏先から立ち戻り、困民軍の下日野沢村小隊長に任じられた。秩父困民党は11月2日には大宮郷(現在の秩父市中心部)を制圧し、郡役所を占拠して革命本部をおいた。
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