
引き続き、秩父事件関係の作業。
午後から町に出て新年早々に予定している研究報告資料のコピー。
小銭が足りなくて、結局、終わらず。
長尾根で落ち葉集め。
畑のウド畝に落ち葉まき。
これでとりあえず、ウド作業は終了。
帰宅後、リポートのとじ込み作業。
アルプスいんげんを煮てみた。
うずら豆のくすんだような色。
風味は悪くないのだが、インゲン煮豆は色あいも大事だと思うので、ちょっと残念。
来年は、以前作っていたうずら豆に戻そうかと思案中。

引き続き、秩父事件関係の作業。
午後から町に出て新年早々に予定している研究報告資料のコピー。
小銭が足りなくて、結局、終わらず。
長尾根で落ち葉集め。
畑のウド畝に落ち葉まき。
これでとりあえず、ウド作業は終了。
帰宅後、リポートのとじ込み作業。
アルプスいんげんを煮てみた。
うずら豆のくすんだような色。
風味は悪くないのだが、インゲン煮豆は色あいも大事だと思うので、ちょっと残念。
来年は、以前作っていたうずら豆に戻そうかと思案中。

終日、秩父事件関係の作業。
エクセル代替プログラムの入力や調整。
まだしばらくかかりそうだ。
写真は、嵐電。
北野白梅町の電停で乗り方がわからず、オタオタしていたら、駅員さんが要領よく教えてくれた。
外国の方はどうやって、この困難を乗り越えておられるのだろう。

今朝は氷点下5.4度まで冷え込んだ。
加齢とともに寒い部屋で原稿を書くのが苦痛になってきた。
今のパソコンもそろそろ不安になってきたことなので、こたつで原稿書きするために、ノートパソコンを買った。
ほぼ半日、セットアップと環境整備。
ノートは、ThinkPad230CS(Win3.1)以来、久しぶりに使う。
秋インゲンの収穫終わり。
二升にやや足りない程度とれた。
品種はアルプスで、種実は濃紺。
冬の夜長にゆっくり煮よう。
煮豆にするとどんな色になるだろうか。

氷点下4.4度とまぁまぁの寒さだが、この冬一番の寒さなので、けっこうこたえた。
留守にしている間に、いくらか降ったらしい。
たとえ焼け石に水でも、ないよりずっとまし。
畑もいくらか潤った感じ。
写真は、御室八十八か所の小堂。

新東名をガンガン走っているうちに、雨はやんだ。
風は強いが、雲がとれてきたので、清水インターで降りて浜石岳へ。
登山口ではあいにく、風花が舞っていたが、ピークに着けば風もやみ、けっこうな展望が得られた。
三島・沼津あたりではまだ降ってる感じ。
遠景は伊豆。駿河湾とはこんなにきれいな海だったのか。

雨はまだやまないが、せっかくなので、木嶋坐天照御魂神社へ。
続日本紀の大宝元年の条に記載があるとのことなので、間違いなく古い神社である。
説明板には、渡来人秦氏にゆかりがあると書かれていが、さもありなんと思われる。
ここまで歩いてかなり疲れたので、この日はここまでとした。
地下鉄と嵐電の位置関係をよく理解すれば、もう少し能率的に歩けると思う。

雨はちっともやまないし、足が濡れて気持ちがよくないので、東山駅から地下鉄に乗って太秦へ。
太秦天神川駅で降りて、猿田彦神社。
ここには常在する宮司さんはおらず、街なかの一角にある小さな神社だった。
庚申信仰とは、われわれ凡俗の人間が犯した悪事を神様に告げ口する、三尸(さんし)なる小悪魔を抑えるために、その天敵(青面金剛という仏神)を供養してお願いしたり、みんなで徹夜することにより三尸の行動を封じようという信仰である。
江戸時代に一部の思想家が、猿田彦が三尸の天敵だという説を唱えたために、それを信じる人々もいて、太秦の猿田彦神社はかつて、それゆえにけっこう賑わったらしい。

一度下の通りまで下って、尊勝院へ登りかえす。
こちらは元三大師をまつるお寺だが、青面金剛をも併せておまつりしている。
声をかけてみたら、尼僧のかたがとても親切にご朱印を書いてくださった。立ち話少々。

東大路へ戻り、北上。
道草しないつもりだったが、八坂神社に立ち寄り。
うちの部落でも、夏には牛頭天王さまのおまつりをしているので、総本山(?)にもご挨拶した方がいいかなと。
三条通に出て東に向かうと、地下鉄の駅あり。
京都に地下鉄ができたんだ・・。
まずは旗の林立する粟田神社へ。
出世の神様とのことなので、おれには縁がないのだけれど、学問成就も助けてくれるらしいので、しっかりお参り。

雨の京都を散策。五条駅から歩き始め。
五条駅は清水五条駅と名前が変わっており、それもそれでさることながら、駅が地下にもぐっているのだった。
清水寺も六波羅蜜寺も通り過ぎ、路地に入って八坂庚申堂へ。
小さなお堂だが、参詣者はそこそこいた。
お参りして、ご朱印をいただいた。

御室仁和寺から成就山をひと回り。
あまりにも観光客が少なすぎて、驚いた。
中国の方がほとんどいない。
登山道に八十八の小堂が立つ。
ただかなり傷んでるのが多くて、数が多いだけに修理はたいへんそうだ。
山からお寺の境内に降りてきたところに、熊が出ているという掲示があった。

神社関係の会計処理終わり。
今年の神社関係の仕事は終了。
昨冬に仕込んだ味噌一号を開けてみた。
今年もよくできていた。
黒っぽく見えるのは、赤大豆を使ってるから。
塩分やや多めだが味はよい。
風味のよい大豆を使うと美味しい味噌ができる。
日本人だから当然、味噌を大量に消費する。
夏くらいまでは手前味噌を食べて、自分の味噌がなくなったら、登山で訪れた地方の地味噌を買って食べる。
登山に行くと、地味噌・地醤油・地酒・地蜂蜜を買うのがとっても楽しみ。

朝から神社関係の集まり。
歳神様などを氏子の皆さんに配布。
午後は畑仕事。
ウド畝直し完成。
ガーデンハックルベリーの片づけ。
釜石の純吟・浜千鳥。
芳醇で雑味のない美酒。
麹の甘さが気になる人がいるかも知れないが、身体にしみ入る健康的な甘さだ。

朝から稲穂山公園で山仕事。
終わってから落ち葉集め。
畑に行ってウド畝作業の続き。
秋インゲン摘み。
すぐに日没。
写真は、日金山から見た相模灘。

ナス・ピーマンなど、夏野菜跡地の耕うん。
ここは、枯れ草埋設予定地にする。
草むしり。
帰宅後、チェンソー刃研ぎ。
写真は、日金山で見た冬いちご。
けっこうたくさんあったのだが、先に進みたかったので、摘まなかった。

ウドの畝の作り直し。
忙しいときにはできないので、着手できてよかった。
資材が足りないので、途中まで。
写真は、日金山の下りで乗った十国ケーブル。

ほぼ終日、神社関係の事務。
畑の玉ねぎに潅水。
先週末に予想されていた雪は、わずか0.5ミリしか降らなかったので、焼け石に水。
この先も雨マークがときどき出てるのだが、あまり期待できない。
日金山では、照葉樹を見ることがあまりできなかった。
その中の数少ない一本は、たぶんアカガシ。

伊豆半島(静岡県)の根っこ、熱海の日金山へ。
山というより、ほぼ公園。
相模湾と駿河湾が左右に見える。
写真は沼津の市街地と駿河湾。
遠景は御前崎あたりだと思うが、雲が多くてよくわからない。

二年続けて、野沢菜栽培がうまくいった。
食べ始めたのだけれど、浸かりがまだ少し若い感じ。
それでも、大量の野沢菜を消費しなければならないから、どんどん食べる。
ご飯のおかずとして食べるというより、ヒマがあったら野沢菜を食べてるので、塩分が多い。

旧ムクゲ公園で朝から山仕事。
お昼にあがって大急ぎで帰宅してオンライン会議。
畑がカラカラなので、今夜の雪予報に期待しているんだが、あまり降りそうにない。
少し早めに仕事場の蓑山に行って、展望地から秩父盆地を眺めてみた。
盆地の成り立ちがよくわかる、いい展望地だ。
小鹿野町で一番高い両神山はとても立派。
10数回登ってるが、最後に登ったのはもう7年も前のことだ。

季節風がひどかった。
日本海側では大雪ではなかっただろうか。
神社の仕事で町へ出た。
スーパーでしらすのパックに20パーセント引きのシールが貼ってあったので、買ってきた。
今年の大根は葉っぱがまだ霜げていないので、大根葉としらすをごま油で炒め煮。
けっこうイケル。
大根葉が有効利用できてよかった。

四角豆のヤグラの解体。
草むしり。
チェンソー刃研ぎ。
写真は、六甲山の紅葉。

一昨日いただいた枯れ木で薪作り。
ほぼ全部、処理できた。
夏野菜の片づけ続き。
ガーデンハックルベリーがまだ残っているのだが、ここ数日、強い霜がおりたためダメになってしまった。
もったいないが、処分するほかなし。
断続的に書き物。
写真は、六甲山から見下ろした大阪湾。
見えている海辺の人工島は、みんな埋め立て地だ。
志摩半島や陸中で生命あふれる豊饒の海を見てくると、死んだ海の醜さがよくわかる。

朝から旧ムクゲ公園で山仕事。
週に二度しか働かないのに、けっこう疲れた。
知り合いのところで、枯れ木をいただいた。
ありがたい。
帰宅後、それを使って薪作り少々。
薪を置く場所がもうない。
終了後、チェンソー刃研ぎ。
鹿肉の処理。
六甲山の頂稜はレストラン街のようだった。
ここでラーメンなんか食ってたら警備員さんがすっ飛んできそうなので、早々に退散して、人のいないところで一息ついた。

朝から旧ムクゲ公園で山仕事。
帰宅後、チェンソー刃研ぎ。
鹿肉燻し。
全部はできなかった。
松本冬菜ができた。
10月中旬に種まきした。
普通ならもう間に合わないのだが、今年の秋はひどく暖かかったのでどうなるかなと思っていたが、十分大きくなった。
特別の菜っぱでなく、普通の小松菜だが、たぶん耐寒性が優れているんだろう。

神社関係の用事で秩父神社へ。
帝国海軍の旗(旭日旗)が掲げられてるのを見たのは、初めてだ。
神社に旭日旗を掲げる意味が理解不能。
野沢菜の収穫と漬け込み。
これで三度目。
野沢菜のカブを葉っぱとは別に、浅漬け。

強烈な季節風が吹き始めた。
本格的な冬到来。
昼間の気温も5度くらいまでしか上がらない。
朝から書き物少々。
大根の糠漬け。
家から直線距離にして300メートルほどの鷹谷砦に登ってきた。
この山に来たのは二度目。
登山口からすぐに頂上なのだが、急登なので息が切れた。
頂上までに空堀が三か所と、曲輪と思しき平坦地がいくつかあって、山城であることは確実だ。
頂上の石碑には、北条氏により築かれたと刻まれている。
樹林のため展望は今ひとつだが、木を伐れば谷が一望できる。
眼前に毘沙門山の大岸壁がいい感じだ。
現代人の多くは、「城」といえば江戸時代に作られた天守閣をイメージしてしまうため、戦争時に城が実際に機能した戦国時代にも、あのような城郭があったと勘違いしている。
しかし戦国の城郭は、武将が日常生活を送る場所ではなく、戦時(とくに包囲戦で守勢に立った時)に立てこもる、非日常的な場所だった。
だからそこにあった建物はもちろん、豪華なものではなく、武器や食糧を蓄えるとともに、いざというときには女性や老人や子ども(彼らは一括して「足弱(あしよわ)」総称された)をも収容するのが、基本的な目的だった。
武田の軍勢が、西上州・山中谷(現在の上野村)から鉢形領・秩父へ侵入する際の通り道にあたっているため、ここは格好の見張り場だった。
やや北方の日尾城には、山県昌景(武田四天王・のちに長篠で戦死)に攻められたが撃退したという口碑が残る。
現在の小鹿野町西部は、対武田防衛戦の最前線だった。
写真は、登山口近くから望む毘沙門山。
うちの裏山である。

軽トラのタイヤ交換。
これは自分で。
薪作り少々。
見るのもイヤだった難物を切った。
鹿を里芋とごぼうと人参と大根となめことチンゲンサイで煮た。
調味料以外に購入品なし。
今までに食べた鹿で一番の味。

朝から薪作り少々。
ご近所から鹿をいただいた。ありがたい。
鹿肉の処理。
自動車のタイヤ交換とメンテ。
ディーラーさんにお願いした。

野沢菜の第二次漬け込み。
あと一度、漬けなければならない。
花梨の焼酎漬け。
写真は、摩耶ケーブル。
下る人がほとんどいなかったのて、すいていた。