
終日、秩父事件の史跡めぐり。
天気もよく、いい巡検だった。
コロナワクチンを打った腕が痛かったが、発熱等はたぶんなかった。
破風山11回目。
足元に広がる展望から、大地の成り立ちと人々の暮らしを読む。
堀切と太田との境の細い沢は奥が浅いが、まとまった雨が降れば、用水として使えたかもしれない。しかし、旱天ではどうにもならなそうだ。
田んぼはできるが、苦労するだろう。
太田の中央を貫通する伊古田川が、太田田んぼを潤したメインの水源だ。
浸食は浅く、取水も困難でない。
並行して流れる蒔田川と似ている。
しかしこれだけ広大な田んぼに水を行き届かせるには全然足りない。
戦後に、赤平川からポンプアップできるまでのコメ作りは、大変だっただろう。
旧太田村を俯瞰すると、赤平川沿いに人家が立ち並ぶ。
川は深く侵食されていて、河岸段丘はない。
これを見ると、ここの河道は河岸段丘ができるより前、比較的早くに定まったものだろう。
比高はほとんど存在しないが、赤平川べりは自然堤防で土砂が堆積し、地盤がしっかりしているのに対し、その背後、南側は傾斜のほとんどない後背湿地をなしている。
この後背湿地が太田田んぼなのである。
西に目を転じてみると、下吉田が見える。
ここは赤平川と吉田川の合流点にあたる小盆地だが、いずれの川も流路は曲がりくねり、また浸食は浅い。
これを見ると、河道が定まり侵食が進む以前に文明が訪れ、氾濫原の中に市街地ができてしまったことが想像される。
さまざまなことが観察できて、学ぶこと多き山行きだった。
自然堤防・河岸段丘・氾濫原・後背湿地などは、地理の教科書に出てくる基本用語なんだが、この山に立つと、それがひと目で見学できちゃうんだから、楽しい。
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