
朝から畑仕事。
春いんげんの片づけ。
途中まで。
草むしり。
昼から荒川村の史跡めぐり。
ずいぶん以前に見たところばかりだが、けっこう忘れてしまってるので、思い立って歩き直した。(徒歩でなく車で見て回った)
清雲寺境内にある拓霊芳魂塔。
これは、御花畑の札所13番前にあったのが、30年ほど前にこちらへ移転した。
拓霊とは、満蒙開拓団として秩父から満州に赴き、命を落とした人々のことである。
満蒙開拓団は、満州の荒野を開拓したわけではなかった。
開拓団長だったH氏は、先遣隊からのリポートで「こちらは来て見れば文字通りの楽天地で何一つ心配することはなく、入植のその日から本当に一団一家、家族としての安心立命の生活です。肥沃の耕地が豊富で収入の道が際限ないから女子供がいくら来ても食う心配など少しもないのです」と述べていた。
「文字通りの楽天地」とは、満州現地の人々が営々と築いてきた農地だった。それをわずかな補償で奪い取り、日本人のものにするのが「開拓」だったのだから、「入植のその日から本当に一団一家、家族としての安心立命の生活」「肥沃の耕地が豊富で収入の道が際限ない」のも当然だった。
1945年8月9日を境に、開拓団に参加した人々は一転して、この世の地獄に突き落とされた。
この日の傍らに建つ副脾には、「戦争の空しさ悲惨さを嘆ずる・・」と、戦争を否定する言葉が刻まれている。
満州で暮らした一般の日本人にとっての戦争は、いつ始まったのだろう。
貧しかった秩父・荒川村(当時は中川村)から希望を抱いて満州に渡り、「肥沃の耕地」で充実した毎日を送っていたとき、自分たちがすでに地獄への道を歩んでいることに気づいた人はたぶん、ひとりもいなかっただろう。
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