諏訪神社

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自由民権の雄叫び


 朝から鎮守の草刈り。

 最高気温が出る午後(37度まで行った)は身体を休めて自宅で書き物。
 もっともエアコンがないので、自宅が快適なわけでもない。
 夕方から畑に出かけた。

 北相木村は南相木村の隣村で、永禄8(1565)年に相木村が南北に分かれたときに成立した。
 この村の自由党員、菊池貫平と井出為吉は、明治17年10月末、秩父郡三沢村の萩原勘次郎に招かれ、国会開設運動に参加するつもりで秩父困民党に飛び込んだ。

 秩父に来てみたら負債問題解決のための運動だと聞かされ、一旦は「それじゃ帰る」と言ったが思い直し、武装蜂起の当日には、貫平が参謀長、為吉が軍用金集め方という困民軍の最高幹部に就いた。
 為吉は富豪から軍用金を集めた際、領収書に「革命本部 印」と署名し、貫平は、困民軍本陣が総崩れになったあと、残存勢力を率いて群馬県から長野県へと転戦し、東馬流で壊滅するまで戦った。

 1984年10月28日に、貫平宅にほど近い、北相木村の諏訪神社に「自由民権の雄叫び」と題された立派な石碑が建立された。
 おぼろげな記憶だが、自分も、この碑の除幕式のすみっこで、話を聞いていた。
 数年前まで内閣官房長官を務められていた井出一太郎代議士が、静かに参列しておられたことが印象的だった。

 碑文には明治17年の村戸数250戸で秩父事件参加者約200人とある。
 現在の村総人口は700人を切っているが、広いレタス畑は、よく手入れされていた。

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