南相木村ができたのは1565年。
佐久地方が武田信玄の支配下に入ったころだから、450年ほどの歴史がある。
江戸時代以前から存在している日本の自治体は少ないのではないか。
明治・昭和・平成の町村合併でも独立を維持し続けた。
補助金が欲しくてドタバタ合併して歴史と由緒ある自治体名を投げ捨てた日本中の市町村は、ここの爪の 煎じて飲めといいたいが、もう遅い。
南相木村から小海駅へ向かう村境は、出征兵士を送った場所だという。台座の銘文を読む。
過ぎし戦いの日 ここ別れの松の下で 征途につく若者たちが 万感を胸にいだいて 愛する家族や村人に別れを告げ その多くが帰らぬ人となった。
戦後すでに四十年 往時を偲び この尊い犠牲を決して無にしてはならないと 平和への悲願をこめ 村民相はかって ここに「不戦の像」を建てる。
昭和六十年九月二十三日 南相木村
秩父困民軍は南相木村を通っていないのだが、戸数の大多数にあたる200名ほどが参加している。
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