
目の再検査をしてもらったら、やはり治療の必要なしと言われた。
目については、とりあえず一段落ということにする。
人間ドックで要治療と言われた問題がもう一つあった。
ピークフローの値が基準を大きく下回っている。
これは以前から同じで、パンデミックになって以来放置していたのだが、やはりよく診てもらうとするか。
のらぼうと大根の準備続き。
かぼちゃの片づけ終わり。
写真はやはり大通嶺のソバナ。

目の再検査をしてもらったら、やはり治療の必要なしと言われた。
目については、とりあえず一段落ということにする。
人間ドックで要治療と言われた問題がもう一つあった。
ピークフローの値が基準を大きく下回っている。
これは以前から同じで、パンデミックになって以来放置していたのだが、やはりよく診てもらうとするか。
のらぼうと大根の準備続き。
かぼちゃの片づけ終わり。
写真はやはり大通嶺のソバナ。

自動車のちょっとした部品が外れて落っこちたので、修理してもらった。
あまり重傷でなくて助かった。
のらぼうと大根の植えつけ準備。途中まで。
かぼちゃ片づけ始め。
今年のかぼちゃはいい場所に植えたので、収穫が多い。
ほとんどが末成りなので、たぶん不味いんたと思うが、自分には不味いということがよくわからないらしく、不味いという感じがしない。
ニラとつくね芋に追肥。
ニラのメンテはそろそろ終わりでいいかな。
写真は、大通嶺のフシグロセンノウ。

甲信国境の石ッコツから夕日アタリへ。展望はあまりなかった。
石ッコツとか夕日アタリという山名はあまり聞かないが、〇〇山とか〇〇岳より本物の山名らしく感じる。
「山」とか「岳」は、その山の属性を言う接尾辞であって、その山の名前本体ではない。
「御嶽山」という山名を解析すると、「山」は単なる接尾辞で、本来の山名は「御嶽」だっただろう。
「嶽」は峨々たる高山を示す一般名詞で、「御」は単なる美称で特に意味はない。
とすると、「御嶽山」は、単に山をあらわす名称だということがわかる。
御嶽山が無名峰だということではなく、山と呼ぶにふさわしい山といえば御嶽山しかありえない、ということである。
石ッコツの山頂は露岩が積み重なっており、いかにも石だらけだった。
夕日アタリはおそらく、川上村のレタス畑から見ると、夕日に照らされるピークなのだろう。

降ったり晴れたりと、不安定な天気が続く。
畑に出かけてはみたが、すぐに驟雨で撤退。再度出かけて、またも撤退。
しかし草むしりは順調。
ニラに追肥。
ごぼうの種取り。
ごぼうの花がらはアザミに似て、服と言わず皮膚と言わず、どこにでも付着する。
オナモミと同じで不愉快極まりないのだが、この種をとって、翌秋の芋煮になんとか間に合わせる。

アスパラの種取り。
きゅうりの種取り。
秩父事件研究会でレポート。
自由民権思想を動的に把握すべきという点と、民衆の現実に向き合う中で民権思想が鍛えられたという点を中心に述べた。
肩の荷が一つ降りた。
写真は、大通嶺で見たタマゴタケ。
この日はラーメンの具を持っていかなかったので、チチタケとともにその場で食ってしまった。

今日も草むしり。
ニラに追肥。
春野菜・夏きゅうり跡地の片づけ。
ここはのらぼう予定地になる。
まぁ、順調かな。
写真は小禅の滝。
三滝の残り一つは浅間の滝だが、この日は浅間の滝がどこにあるのか、わからなかった。

終日、草むしり。
むしった草は乾かして燃やすか、埋めるかするのだが、埋める場所がなくなってきた。
今月末までには、大根や白菜を植える準備をしたいのだが、間に合わないかも。
軽トラの修理ができてきてよかった。
写真は、大禅の滝を正面から見たところ。
換算24ミリのレンズでは落ち口から滝壺まで視野に入り切らない。
Runの日。

夏野菜のメンテ。
アスパラとのらぼうをビニールポットに種まき。
軽トラの具合が悪くなって入院。
ふと思いついて、デイパックを洗ってみた。
ザックは洗うものではないと思っていたのだが、汗だくになっても使ってるし、嫌な匂いもする。
ちなみにアライテント社の<クロワール35>。二代目。
そろそろきのこが欲しいなーと思っていたら、大通嶺でそこそこ収穫できた。

南佐久・大通嶺へ。道なし。道標なし。
三滝から尾根へ這い上がれば、あとは尾根を登降すればよいのだが、尾根上に露岩があるので、巻くか直登するかしなければならず、思ったより時間がかかる。
それはいいとして、盛大なリングワンデルングを一発やらかした。認知機能に問題が生じたか ! とまずは自分を疑う。
が、30年も前から似たようなミスをやらかしてきたことを思い出し、問題があるのは認知機能の低下ではなく、自分の登山脳がそもそも弱体だった事実に思い至る。
とはいえ、安心している場合ではなく、体力リソースは明らかに弱体化しているので、これからもなるべく慎重に行こう。
これは大禅の滝。

草むしり少々。
里芋の土寄せ準備。
里芋のメンテは土用のころにすべき作業だが、草の伸びに心が負けて、まだできていない。
疲れてきたころに驟雨が来て、ありがたかった。
Runの日。
人間ドックの結果到着。
コロナのためここ数年検査なしだったピークフロー値に問題あり。それ以外はとくになし。
写真は、毘沙門山のミヤマウズラ。
台風のせいか、全体に汚れている。

台風の前の数日は多少涼しかったのだが、昨日からまた暑くなった。
とりあえず畑に出かけてみたが、危険な感じがしたので、草むしり少々で退散。
写真は、毘沙門山のレンゲショウマ。

雨がやんだので、台風を追っかけて北上。
今市の毘沙門山へ。
下山後、塩谷町のナツエビネ群生地へ。
じつはコチラが本命だった。
すばらしい。眼福。

昨日は人間ドック。
けっこう疲れたので、午後から畑に野菜とり。
今日も同じ病院へ医者通い。
目の具合が気になるので診てもらったのだが、治療の必要なしという診断だった。
他人のことを言えた義理ではないが、医師にも教師にも、コミュニケーション能力は必要だな。
コミュニケーション能力の基本は聞く力だな。
瞳孔が開きっぱなしで眩しいのだが、自宅へ帰って少し休んだら正常化したので、畑へ行って草むしり少々。
明日は台風なので、終日、家から出られまい。
峰雄山から下山後、いくつかの滝を見に行った。
これはおみかの滝。
20メートルほどを轟音とともに落下する美瀑。
ところで、滝の名前だが、女性の名前が淵とか池とか滝についている場合、ほぼ間違いなく悲しい物語だ。
おみかさんもまた、理不尽に命を奪われた女性なのだった。

昨日の最高気温は、38.6度だった。
道理で暑いはずだ。
小さな原稿一本完成。
とり遅れのゴーヤ。
多くの日本人は生臭くて苦いゴーヤを食うのだが、葉っぱに隠れたゴーヤ見落とすと数日で、黄色い完熟ゴーヤになってしまう。
完熟しても食えないことはないし、翌年用の種子を採ることもできる。
おれはだいたい、こうなったゴーヤにオレンジジュースを加えてミキサーにかけ、飲むことが多い。
先日来、近所に熊が出ていて緊張していたのだが、その熊は山に帰ったっぽい。
一方、町内では自宅の庭で熊に襲われた人がいる。(埼玉新聞)
こまったものだ。

南佐久・南相木村の峰雄山へ。
登山道・道標なし。
展望は小Windowから御座山と天狗山。
天狗山が見える地点をようやく見つけたのだが、ちょっと怖い崖のへりだった。
昨日の気温は、公式発表で37.8度だった。なかなかの暑さ。
今日もそれに匹敵しそうだが、さてどうなるか。

朝から気温が上がって、午後近くには室内で35度を越えた。
炎天下で草むしりなど、できる状態でない。
よって畑仕事は夕方のみ。
ミニ原稿一本仕上げ。
写真は、駒ヶ岳で見たウスヒラタケ。

数日前まで、連日の夕立予報だったのだが、ゲリラ豪雨で浸水被害が出ていても、豪雨はピンポイントで降ってるので、こちらの畑ではほとんど降らず。
畑はカラカラだ。
作物は枯れ始めたが、雑草どもはまったく元気だ。
今日も朝夕に草むしり。
らっきょうの植えつけ。
写真は、マツカゼソウ。
県道と言わず登山道と言わず、いたるところで咲いていた。

大涌谷の火山活動に伴い、箱根の溶岩ドームは2015年以来、久しく立入禁止になってきた。
先月19日に一部解禁になった防ヶ沢口から駒ヶ岳へ。
コロナが大流行しているので、電車でなく自動車でアプローチ。
展望がよいはずの山頂台地はガスで展望皆無。
まぁ、登れただけでよしとする。
登山道では、シモツケソウがちらほら咲いていた。
プレートの境界が動く時、火山活動が活発になるというのは、歴史が教えている経験則だ。
下山から数時間後、箱根は震度5の揺れに見舞われたそうだ。

秩父事件関係の事務作業を半日。
草むしりはほとんどできなかった。
先月から書いていた秩父事件関係のレポートがとりあえず完成。
写真は、御陵山で見たカワラナデシコ。登山道わきに点々と咲いていた。

挿し木のブロッコリーは腐敗して枯れた。
土に挿さないで水挿しにしたほうがよかったような気がする。
アスパラの実ができ始めたので、ビニールポットに取り蒔き。
プランターならよく発芽するのだが、冬の間の管理が難しいので、今年はポットで作る。
ニ度失敗した人参の種まき。これで三度目。
地温が高いので、発芽は無理かな。
しかし、9月の種まきだと年内の収穫が難しくなる。
うまくいけばいいのだが。
今日も夕方から夕立。
写真は、御陵山で見たコオニユリ。

メイン大豆の赤大豆だが、今年は最初にまいた種が干天のため発芽せず、次にまいた種もやはり、干天のため発芽しなかった。
大豆の種まき時期は6月下旬から7月上旬なので、ここまで来たらもう無理だと思われるのだが、来年の種くらいはとれるかもしれないので、この先数日の夕立に期待して、まき直し。
午後から期待通り、スコールが来た。
明治10年代に、北相木村の村の戸長・井出為吉らは大龍寺で学習会を開いていたという。
学習会のテーマやテキストが何だったのか、どのような運営がなされていたのかなどは伝わっていないが、為吉宅に伝わるフランス革命史や法律書を見れば、彼らの関心がどこにあったかがうかがえる。
明治初年は、知識に餓えた若者たちが集団で学ぶ時代だった。
一つの典型が、五日市学芸講談会だった。
すっかり晴れて、高台に建つ大龍寺の山門からは、御座山の勇姿が望まれた。
為吉たちはいつもこの景色を見ていたのだなぁと思いつつ石段を下ったのだった。

朝から農作業。
草むしりとピーマン支柱の補強。
ピーマンは根が浅いので、実ができ始まると、実の重さで簡単に転倒する。
倒れそうになったときに寄りかかることができるように紐を張る。
倒れては困るごまにも同じ補強をする。
とりあえず、夏野菜は絶好調の部類。
午後は秩父市内へ買い物がてら9月のプチ講演の打合せ。
スイートコーンを作るのは約20年ぶり。
紫色のフリントコーンは聞くが、スイートコーンの紫色(大和ルージュ)は初めて。
茹でると盛大に色が落ちるので、レンチンがよい。
Runの日。

朝から鎮守の草刈り。
最高気温が出る午後(37度まで行った)は身体を休めて自宅で書き物。
もっともエアコンがないので、自宅が快適なわけでもない。
夕方から畑に出かけた。
北相木村は南相木村の隣村で、永禄8(1565)年に相木村が南北に分かれたときに成立した。
この村の自由党員、菊池貫平と井出為吉は、明治17年10月末、秩父郡三沢村の萩原勘次郎に招かれ、国会開設運動に参加するつもりで秩父困民党に飛び込んだ。
秩父に来てみたら負債問題解決のための運動だと聞かされ、一旦は「それじゃ帰る」と言ったが思い直し、武装蜂起の当日には、貫平が参謀長、為吉が軍用金集め方という困民軍の最高幹部に就いた。
為吉は富豪から軍用金を集めた際、領収書に「革命本部 印」と署名し、貫平は、困民軍本陣が総崩れになったあと、残存勢力を率いて群馬県から長野県へと転戦し、東馬流で壊滅するまで戦った。
1984年10月28日に、貫平宅にほど近い、北相木村の諏訪神社に「自由民権の雄叫び」と題された立派な石碑が建立された。
おぼろげな記憶だが、自分も、この碑の除幕式のすみっこで、話を聞いていた。
数年前まで内閣官房長官を務められていた井出一太郎代議士が、静かに参列しておられたことが印象的だった。
碑文には明治17年の村戸数250戸で秩父事件参加者約200人とある。
現在の村総人口は700人を切っているが、広いレタス畑は、よく手入れされていた。

午後、オンライン会議があるので、早朝から草むしり。
まったく埒が明いてないように見えるが、それなりにはかどっている。
会議が終わってから、いつもなら畑に行くところだが、灼熱の炎天下を想像するだけで心が折れた。
昨日、ピーマンを100個近く収穫したので、どんどん消費しなければならない。
冷やしナスと同じようなレシピで、冷やしピーマン。

暑くなる予報だったので、今日も朝早くから草むしり。
ここしばらく、夕立もないので、作物たちもちょっと厳しい。
昨年は里芋が枯れ始め、こんにゃくも大ダメージを受けたのだが、それに匹敵する日照りだ。
ピーマンに倒伏防止のひも張り。
ハムスター用こたつで加温して発芽させ、衣装ケースで保温して育苗した。
ピーマンの季節がやってきた !!

南相木村ができたのは1565年。
佐久地方が武田信玄の支配下に入ったころだから、450年ほどの歴史がある。
江戸時代以前から存在している日本の自治体は少ないのではないか。
明治・昭和・平成の町村合併でも独立を維持し続けた。
補助金が欲しくてドタバタ合併して歴史と由緒ある自治体名を投げ捨てた日本中の市町村は、ここの爪の 煎じて飲めといいたいが、もう遅い。
南相木村から小海駅へ向かう村境は、出征兵士を送った場所だという。台座の銘文を読む。
過ぎし戦いの日 ここ別れの松の下で 征途につく若者たちが 万感を胸にいだいて 愛する家族や村人に別れを告げ その多くが帰らぬ人となった。
戦後すでに四十年 往時を偲び この尊い犠牲を決して無にしてはならないと 平和への悲願をこめ 村民相はかって ここに「不戦の像」を建てる。
昭和六十年九月二十三日 南相木村
秩父困民軍は南相木村を通っていないのだが、戸数の大多数にあたる200名ほどが参加している。