秩父暴徒戦死者之墓

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秩父暴徒戦死者之墓


 苦しい思いをして草むしりすることになる前に、草を生やさなければいいということは、百も承知である。
 しかし野良仕事だけが人生というわけではないし、草むしり以外に為すべきこともあるので、雨と暑さについ弱気になると、畑が草原と化す。

 今日のアメダスは13時で36.1度。
 身体にはけっこうダメージがある。

 写真は、小海町の秩父暴徒戦死者の墓。
 秩父困民党は1884年10月31日の武装蜂起から10日目、11月9日の朝、ここで陸軍高崎鎮台兵と最後の銃撃戦を交わし、13名の戦死者を出して壊滅した。
 引き取り手のない遺体は、地元の方々によってここに埋葬された。

 この碑が建てられたのは1933年11月9日。困民党を秩父からここまで率いてきた北相木村・菊池貫平の子孫の手による。

 ミンミンゼミ初鳴き。

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