
縦に長い前線が停滞して、雨が続く。
畑の作物にはけっこうなことだが、雑草にとっても恵みの雨となるから、やんだあとが怖い。
時間ができたので、溜まっていた書き物など。
なかなか進まない。
昨日は火曜日だったので、調べ物のために秩父の図書館に出かけたのだが、休館日だった。
図書館まで、自動車で往復50キロ近くあるから、徒労感が大きい。
今日の午前中、やや晴れ間が見えたので、気になっていた大野原の諏訪神社に行ってみた。
道路は通じているのだが、道幅が狭く、普通車の通行はきびしいので、畑に行きがてら軽トラで。
ここは室町後期の諏訪城址である。
規模は小さく、おおぜいが籠城できるスペースはなさそうだ。
何より本曲輪まで、一ミリも登る必要がない。
それでいて、防御性は極めて高い。
というのは、曲輪の西・北・東のいずれもが荒川と横瀬川の断崖によって、近づくこともできない。
南は平地だが、堀によって画されているから、ここからの侵入も簡単でない。
城主については諸説あるが、確たることはわからないとすべきだろう。
秩父事件のさなかだった1884年11月3日に皆野村から大野原に退くとき、田代栄助がここに陣地を構えよと指示したのは、この城趾ではなかったか。
史料には、その位置は下小川橋付近とあるが下小川橋と諏訪城址は300メートルほどしか離れていない。
城址の現場でいろいろ考えてみようと思っていたのだが、驟雨が来たので、写真だけ撮って退散。
思えば鉢形城を始めとして、荒川そのものが要害なのだ。
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