現場1

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一文キャンパス


 渋谷から、その足で高田馬場へ。東西線に乗ってふらふらと早稲田大学へ。
 川口さんが殺された127・128教室(ずっと自治会が占拠していて授業は行われていなかった)には、行ったことがなかった。

 川口さん事件のあと、大学当局の後押しもあって革マル派は復権し、暴力支配が復活していた。

 革マル派に批判的と目される教授の授業に際しては、自治会役員を僭称する学生(?)が教壇を占拠して妨害し、授業をやらせなかった。
 共産党員ではないかと言われていたマルクス主義哲学のK先生のゼミでは前期(4月から7月まで)の間、教授も学生も教室に集まっているにも関わらず、先生の話に接することは一度もできず、夏休みに菅平で行われたゼミ合宿で初めて、先生の授業を聞くことができた。

 何があった日か忘れたが、革マル派が興奮していてキャンパスに入れなかった時、その日まさにその先生の授業を受けようと思っていた実存主義哲学のI先生がそばにおられて、「今日は授業どころじゃないなぁ。お茶でも飲みに行こうか」とおっしゃった。

 他の学友たちが教室で待ってるかも知れないのに、授業に出ないで先生と喫茶店でお茶飲むのは気が引けたが、先生からいろんな話を聞くことができた。
 自治会役員と称して授業妨害しているのは一文の学生でなく他学部の学生で、もちろん自治会の役員ではないこと、ひょっとすると学生でさえないかも知れないということなどをうかがった。

 そんな状態だったから、おれは127・128教室には、近づくこともできなかった。

 場所はわかってるが、そこに近づくのは、今でも怖い。
 革マル派はもういないし、いたとしても、もうすぐ古稀を迎えるおれの顔を覚えてるやつはいないだろう。
 追っかけられたとしても、駆けっこならまだ少し自信がある。

 先ほど見た映画の舞台となった教室に行ってみると、壁は全面ガラスでとても明るく、ごく普通に授業が行われていた。
 当たり前だが、教室の前を通るのははばかられるので、全体をちょっと見るにとどめたが、そこには、1972年の川口さん事件を記憶させる何もなかった。

 大学は今、あの事件をどう受け止めているのだろう。
 大学当局が、あれは忘却すべき事件だと位置づけているのなら、許されることではない。

 もっとも、屈託なく勉強している学生たちにとっては、何も関係ない。
 ちょっと羨ましいけれど、グッドラック ! 学生たち。

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