調べてみると、アプローチに自転車を初めて使ったのは、1994年3月の安蘇前衛・多高山のように思う。
それ以来、登山口と下山口の連絡に、何度自転車を使ったか、わからない。
当初は、渓流釣りの、林道ゲートから入渓点までのアプローチに主に使っていた。
その後、下山口に自動車をデポし、登山口まで自転車で走るという登山を行うようになり、おかげでピストンでない登山ができるようになって大いに利用した。
この自転車をもう、約30年使った。
タイヤその他、消耗する部品は替えたが、本体は買ったときのままだ。
買ったときはさほど安くはなかったが、30年使ったと思えば、コスパは大したものだ。
メーカーは新家(アラヤ)工業。
設計・鋳造・溶接などは信頼できるし、ブレーキや変速機は一流メーカー製。
日本の過去のモノづくりに万歳。
わざと車を壊して修理代を請求するなどというこの国はもう、滅びるだろう。
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