
ナメコほだ木を畑へ移動。
冬越し野菜たちに追肥。
潅水したいのだが、畑のバケツに溜めた水が数センチほどに凍っているので叩き割らねば使えない。
今朝は氷点下6.6度。
チト油断したため、水道が凍った。
しかし、まもなく立春。この冬の底は脱したかもしれない。
浄化槽清掃のため、終日在宅。
写真は、鐘撞堂山の尾根で見た古峯神社。
煉瓦造りの神社は珍しい。

ナメコほだ木を畑へ移動。
冬越し野菜たちに追肥。
潅水したいのだが、畑のバケツに溜めた水が数センチほどに凍っているので叩き割らねば使えない。
今朝は氷点下6.6度。
チト油断したため、水道が凍った。
しかし、まもなく立春。この冬の底は脱したかもしれない。
浄化槽清掃のため、終日在宅。
写真は、鐘撞堂山の尾根で見た古峯神社。
煉瓦造りの神社は珍しい。

朝からムクゲ公園で山林作業。
主として、小枝の処理。
作業後、黒谷の長尾城址を散策。
たしかに要害であるが、空堀は一つもなく、曲輪と思しき平坦地が二か所、存在した。
説明板には、戦国時代の武将・長尾昭国ゆかりの城址と記されており、ネット上の登城記はほぼ全てそれを書き写している。
しかし、長尾昭国については、彼の事績に関する記録は何もなく、その名のみが伝わる人物である。
長尾景春とつながりのある人物ではないかという想定は十分ありえそうだが、それだと戦国時代の武将というには無理がある。
防御性に欠ける構造から見て、この地域の避難場所的な役割を果たしていたのではないかと思われた。
これは瑞岩寺不動堂。

今朝は氷点下9.9度と冷えた。
これだと室内で暖房なしで氷点下2度くらい。ファンヒータをつけても10度に届かない。
10年に一度の低温だというが、5年前に氷点下9.5度の朝があった。
それでも、とりあえず底を脱したと期待したいが、5年前にはその二日後、氷点下7.0度とさほどの冷え込みでなかったにも関わらず、水道の蛇口が破裂するという惨事を経験したから、今回は油断しないようにしたい。
壊れた冷蔵庫はその後ゾンビ状態で、ときどき復活していたのだが、あてにならないので、新しく購入した。
たくあんを燻した。
美味しいけど、秋田で買ったやつほどではなかった。
煙が足らないのかもしれない。
軽トラのタイヤが駄目になったので、交換。
昨夜は何度も起きて、蛇口の点検をしたので、朝の凍結は免れたが、睡眠不足で眠い。
普通に出勤したが、やはり寒かった。
気温は予報よりやや低くて、最高気温が0度(公式)。
実測では最高氷点下1度で、昼間のうちに一部の蛇口が再凍結していた。
明日の最低気温が氷点下9度なので、今夜もたぶん眠れない。

県内各支店に襲撃予告があり、社長から閉店命令が出たので、やむなく帰宅。
とても迷惑なので、できれば今日のうちに捕まえてほしい。
夕方から強風と降雪。
明日は強い冬型で低温。
数日前には最低が氷点下8度、最高が2度の予想だったが、最低はやや穏やかに変わった。
雪降る日に、ナツハゼの酒をなめてみる。
鎖場連続の大姥山の山頂に着いたら、鈴なりのナツハゼが目に入ったのだった。
渋味と酸味がいい感じ。何より、色がステキ。
自宅の周辺はあっという間に真っ白になった。

午前中、山仕事をしてから、その足で寄居町(?)の鐘撞堂山へ。
とりあえず、猪俣城を見に行った。
本曲輪は小さな砦程度。
二ノ曲輪と三ノ曲輪はあったが、小さな小屋が建つ程度の広さ。
これが名胡桃城に殴り込んだ武将の拠点だと言われても困る感じだった。
とはいえ、保存状態はまぁまぁで、このように小さな曲輪や空堀が残っていた。

今日も半日、山仕事。
昨日、冷蔵庫が壊れた。
冷蔵庫の中と室内の気温がだいたい同じなので、最初は気づかなかったが、冷凍室に入れたものが溶けていたので、壊れたことがわかった。
まる23年使ったから、まぁ仕方ないか。
去年仕込んだナメコのホダ木を畑に移動する準備。
これは、八王子で入手した。けっこうな美酒。
あれ、東京の酒だって頑張ってるじゃん、と思いきや、諏訪の酒だった。
長野県で売ってる「信州舞姫」より、出来はたぶん上。

滝山城址歩きまとめと自宅まわりの調整。
出かけた翌日は、あまり働けない。
写真は、滝山城の空堀。

滝山城址を散策。
氏照が八王子城に引っ越すまでは、関東一の巨城だったと思われる。
戦争に際し必要な備えをほぼ完璧に組み込んである。
強いて言うなら、全体のスケールが今一つなことくらいで、たいへんよくできたこの城を氏照が捨てたのは、秀吉の侵攻が迫っており、関東最大にして最強の八王子城を築く目処が立ったからだろう。
写真は本曲輪あと。

午前中、旧ムクゲ公園で環境整備。
ずっと切ってたので、やっぱり切れなくなる。
午後から小雨。
三週間雨降りなしだったので、ありがたい。
写真は、網代城山の一角にある高尾神社奥宮わきの供養碑。

午前中、旧ムクゲ公園で環境整備。
帰宅後、薪作り少々。
不調のチェンソーだが、ガイドバーを交換した。
切り口が曲がることはなくなった。
絶好調というほどではない。
写真は、網代城山から遠望した筑波山。

越生町の大築城址へ。
ここは、松山城主の上田朝直が慈光寺を焼き討ちするために築いたと『新編武蔵風土記稿』にあるらしく、現地説明・書籍・ネット上すべての説明がその通り説明している。
しかし、
・なぜ慈光寺が焼かれねばならなかったのか。
・慈光寺と大築城はけっこう離れているのだが、焼き討ちすると決まってるならもっと現場に近いほうがいいのではないか。
・焼き討ちするための拠点なら、何段もの立派な曲輪や空堀を構える必要はなかったのではないか。
等々に関する説明はどこにもない。
そもそも『新編武蔵風土記稿』は、大築城が廃されてから二百数十年後に編纂されたものであり、おそらくは地元民からの聞き取りによって慈光寺焼討説を記録したものだろう。
城は仮設の砦というようなものではなく、何段もの立派な曲輪を巡らせ、かなり堅固に築造されていた。
写真は、登山口にある住吉神社。
築城に関わり、土着した人々が建立したと口伝されているようだ。

自宅石垣の掃除。
畑に行って、冬越し作物たちに潅水。
12月下旬以来、雨が全く降っていないので、作物は気息奄々状態だ。
ここで水を与えてやらないと、初夏の出来に影響する。
とはいえ、バケツに溜めた水は厚く凍っているので、氷を叩き割りながらの潅水である。
宝篋山から下山後、畏敬すべきスーパーウォーカーである間宮林蔵さんの記念館を訪ねた。
この人について知ったのは、60年前に『日本の偉人・世界の偉人』という本を読んだときだった。
生家も移築されているのだが、とても小さな百姓家だった。
林蔵さんも凄いが、常ならぬ才能を持つ百姓の子を見いだして幕臣に就けた役人も凄いと思った。
樺太行きに際し、林蔵さんは自分の墓を建てて行った。えらく小さな墓だ。

なかなかうまくいかないことも多いのだが、今年もどうにか、自分の白菜を漬けることができた。
ダメだと言われてるのだが、塩分の多い毎日。

筑波市・宝篋山へゆるりと。
典型的な里山で、ほぼ全山が公園のように整備されている。
いたるところに山道の分岐があり、手製の道標も立っている。
分岐をこよなく愛するおれとしては、また来てみたいと思わせられた。
筑波山まで、そんなに近くない。

今日も午前中、公園整備。
もらってきた薪を積んでチェンソー刃を研いだら(使った日は毎日研ぐ)もう夕方だ。
写真は、先日訪れた網代城址の麓にある高尾神社。

朝から旧ムクゲ公園で園内整備の手伝い。
朝の気温は、ひさびさに氷点下五度を上回ったが、やっぱり寒い。
薪をもらってきたので、午後は自宅で薪積み。
写真は、戸倉城址近くで見た野鳥。
ハトくらいの大きさでけっこう特徴的な鳴き方だったが、これがなんの鳥か、わからない。

昨日の山行の整理と薪作り少々。
たくあんが漬かった。
神田大根を使ったのだが、やや乾かしすぎた。
もともと水分の少ない大根なので、歯ごたえがありすぎ。

旧五日市町の城山という山名のピークをハシゴ。
午前中に臼杵山から戸倉城山を歩いた。これはけっこう歩きでのあるコース。
午後は網代城山。こっちは軽く歩けるかと思いきや、そうでもなかった。
いずれも、はっきりした城主がいなかった可能性のある山城で、一揆と呼ばれた土豪集団が築いたものではないかとされているようだ。
城といえば武将が築くものというのは、一つの偏見だ。
戸倉城山から関東平野を見下ろすと、山城を作りたくなるような尾根が目に入る。
それが網代城だった。



終日、農作業。
季節風が静かになったので、枯れ草燃し。
薪作り少々。
写真は、上田原で戦死した村上義清の家臣たちの墓。


運動不足になりそうなので、旧都幾川村の新柵山へ。
下山後、萩日枝神社と慈光寺へお参り。
一年の無事をお願いするのはチト厚かましい気がしたので、とりあえず今日の無事を感謝した。
写真は、日枝神社の狛猿。