
海ノ口城址から下山後、海尻城址へ。
海なしの長野県なのに地名に海がつくのは、ここが平安時代に、湖だったから。
海尻城址の説明板には、888年に八ヶ岳が水蒸気爆発を起こして東天狗が崩壊し、大月川を流下した土砂が千曲川をせき止めたとある。
大月川を土砂が流下したのは確からしいが、東天狗(あるいは稲子岳?)の山体崩壊が起きた原因が噴火によるものか、地震によるものかについては、諸説あるものの、詳細については不明だという。
ちなみに887年に南海トラフ地震(仁和地震)が起きている。
海尻と松原湖の中間あたりは谷が狭くなっており、ここがネックになってせき止められたのだろう。
松原湖や大月湖はその名残で、堰止湖が崩壊した際に家畜が流されたのが、馬流の地名になったと思われる。
海ノ口は千曲湖のバックウォーターで、海尻は文字通り流出口で、地名を現代に伝えているのだろう。
写真は、海尻登城口の医王寺・山門。
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