佐久・海ノ口城址。岩稜で武装してはいるが、ずいぶん小規模な本曲輪で、ちょっとした砦のレベルだ。
ここに平賀源心が2000人を率いて立てこもり、信虎は8000人で一ヶ月以上攻めたが落とせなかったと史書は語るが、冗談コロッケハムサンド。
ケタが二桁ほど、ちがってるんジャマイカ。
海ノ口城の戦いで晴信が平賀源心を滅ぼしたのが1536年。晴信が父の信虎を追放したのは1541年。
ちなみに新田次郎さんは、晴信が金堀衆(鉱山労働者)を使い、トンネルを掘って海ノ口を攻略したというストーリーを考えられたが、現地を見て、そんな奇襲など不要とおれは思った。
海ノ口城攻防戦は晴信のデビュー戦だった。
(信虎) もう、一ヶ月包囲してるのに、源心のヤロー、降参しそうにない。とりあえず甲府に戻って、来年出直すか・・。
(ハルくん) 身共がシンガリをうけたまわります。元気のよい足軽100人ばかりお貸しくだされ。
(信虎) 承知した。しっかりやれ。
(ハルくん) 一ヶ月かかってこんな城も落とせないとは、あきれたぜ。父上に任せてたんじゃ、武田の将来は危ういな。
(家臣たち) 御意!!
(ハルくん) 水の手を切ったのち、後ろの山から一気に攻めるんじゃ。者ども、続け!!
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