秩父困民党の武装蜂起に際して、風布組先発隊が下田野村の押ん出し河原で捕まったあと、本隊は皆野から赤平川沿いに椋神社に向かうのを避け、末野-野上-出牛峠と歩いて、金沢村に入った。
金沢村から下日野沢・上日野沢村のどこかを通過して下吉田村椋神社に入ったのだが、そのルートについては定説を見ていない。
出牛から金沢村加増・更木耕地を経て風早峠に至るルートは、当時のメインルートの一つであろうから、風布組の進軍ルートとして有力であることは確かである。
地形図に破線は記載されているものの、廃道の可能性は高いと思われたが、現状はどうなのか、歩いてみた。
カタクリの里から浦山耕地上部の別荘地まで車道を行き,破線路を辿ろうとしたが、案の定、ほぼ廃道化していた。
藤原への分岐まで行って少し休み、カタクリの里へ戻った。
午後は畑仕事。
里芋の植えつけ準備で、日が暮れた。
写真は、カタクリの里のカタクリ。
峠付近のカタクリは、まだ芽吹いたばかりだった。
コメントする