
OLYMPUS E-510+ZD14-54mm
朝から午後まで、秩父事件研究顕彰協議会の総会と井上伝蔵のご子孫佐藤知行さんへのインタビュー。
佐藤さんは昭和2年生まれ(実際は大正15年生まれ)でご高齢だが、かくしゃくとしておられ、伝蔵と井上家について、ご存じのことを縦横に語って下さった。
終了後、畑に行って農作業。
大量の水汲みと灌水。
玉レタスの間引き。
ルバーブの植え替えと追肥。
防草シート敷き。
写真は、一昨日と同じく、雲取山の黎明。
一昨日の写真と今日の写真との間のタイムラグは、ちょうど8分である。

はじめまして、こんにちは。
実は顕彰協議会の総会でいちばん前の席に座っていた者です。
「草の乱」がきっかけで入会してしまいました。
それはそうと、ブログの写真がきれいですね。いつか秩父に移住したいと思っています。
なかいさん
いらっしゃいませ。
秩父事件と、上の方にある「山里の記憶」は、わたしの中では一連のテーマです。
痩せた傾斜地での暮らしは、秩父の民にとって何だったのかをずっと考えながら、ほぼ一年中、畑の土をかきまぜて暮らしています。
それを解くカギは、「食」と「技(わざ)」であろうと思います。
秩父事件参加者の中に、職人が何人もおります。
数年前から、「秩父の農民」という表現を使わないようにしています。
山里の暮らしには、「農民」という概念ではくくりきれない要素がたくさん含まれているからです。
「いくさに負けたからやむなく、こんな山の中に落ち延びた」という言い方にも疑念を持っています。
それだと、山村が平地よりも多くの人口を抱えて多種多様な産業を持っていたことの説明がつかないと考えます。
ずっと昔、ここに住みついた人は、山里暮らしの豊かさと自由さに憧れた人々だったという仮説を持っています。