
旧ムクゲ公園で朝から山仕事。
お昼にあがって大急ぎで帰宅してオンライン会議。
畑がカラカラなので、今夜の雪予報に期待しているんだが、あまり降りそうにない。
少し早めに仕事場の蓑山に行って、展望地から秩父盆地を眺めてみた。
盆地の成り立ちがよくわかる、いい展望地だ。
小鹿野町で一番高い両神山はとても立派。
10数回登ってるが、最後に登ったのはもう7年も前のことだ。

旧ムクゲ公園で朝から山仕事。
お昼にあがって大急ぎで帰宅してオンライン会議。
畑がカラカラなので、今夜の雪予報に期待しているんだが、あまり降りそうにない。
少し早めに仕事場の蓑山に行って、展望地から秩父盆地を眺めてみた。
盆地の成り立ちがよくわかる、いい展望地だ。
小鹿野町で一番高い両神山はとても立派。
10数回登ってるが、最後に登ったのはもう7年も前のことだ。

季節風がひどかった。
日本海側では大雪ではなかっただろうか。
神社の仕事で町へ出た。
スーパーでしらすのパックに20パーセント引きのシールが貼ってあったので、買ってきた。
今年の大根は葉っぱがまだ霜げていないので、大根葉としらすをごま油で炒め煮。
けっこうイケル。
大根葉が有効利用できてよかった。

一昨日いただいた枯れ木で薪作り。
ほぼ全部、処理できた。
夏野菜の片づけ続き。
ガーデンハックルベリーがまだ残っているのだが、ここ数日、強い霜がおりたためダメになってしまった。
もったいないが、処分するほかなし。
断続的に書き物。
写真は、六甲山から見下ろした大阪湾。
見えている海辺の人工島は、みんな埋め立て地だ。
志摩半島や陸中で生命あふれる豊饒の海を見てくると、死んだ海の醜さがよくわかる。

朝から旧ムクゲ公園で山仕事。
週に二度しか働かないのに、けっこう疲れた。
知り合いのところで、枯れ木をいただいた。
ありがたい。
帰宅後、それを使って薪作り少々。
薪を置く場所がもうない。
終了後、チェンソー刃研ぎ。
鹿肉の処理。
六甲山の頂稜はレストラン街のようだった。
ここでラーメンなんか食ってたら警備員さんがすっ飛んできそうなので、早々に退散して、人のいないところで一息ついた。

朝から旧ムクゲ公園で山仕事。
帰宅後、チェンソー刃研ぎ。
鹿肉燻し。
全部はできなかった。
松本冬菜ができた。
10月中旬に種まきした。
普通ならもう間に合わないのだが、今年の秋はひどく暖かかったのでどうなるかなと思っていたが、十分大きくなった。
特別の菜っぱでなく、普通の小松菜だが、たぶん耐寒性が優れているんだろう。

神社関係の用事で秩父神社へ。
帝国海軍の旗(旭日旗)が掲げられてるのを見たのは、初めてだ。
神社に旭日旗を掲げる意味が理解不能。
野沢菜の収穫と漬け込み。
これで三度目。
野沢菜のカブを葉っぱとは別に、浅漬け。

強烈な季節風が吹き始めた。
本格的な冬到来。
昼間の気温も5度くらいまでしか上がらない。
朝から書き物少々。
大根の糠漬け。
家から直線距離にして300メートルほどの鷹谷砦に登ってきた。
この山に来たのは二度目。
登山口からすぐに頂上なのだが、急登なので息が切れた。
頂上までに空堀が三か所と、曲輪と思しき平坦地がいくつかあって、山城であることは確実だ。
頂上の石碑には、北条氏により築かれたと刻まれている。
樹林のため展望は今ひとつだが、木を伐れば谷が一望できる。
眼前に毘沙門山の大岸壁がいい感じだ。
現代人の多くは、「城」といえば江戸時代に作られた天守閣をイメージしてしまうため、戦争時に城が実際に機能した戦国時代にも、あのような城郭があったと勘違いしている。
しかし戦国の城郭は、武将が日常生活を送る場所ではなく、戦時(とくに包囲戦で守勢に立った時)に立てこもる、非日常的な場所だった。
だからそこにあった建物はもちろん、豪華なものではなく、武器や食糧を蓄えるとともに、いざというときには女性や老人や子ども(彼らは一括して「足弱(あしよわ)」総称された)をも収容するのが、基本的な目的だった。
武田の軍勢が、西上州・山中谷(現在の上野村)から鉢形領・秩父へ侵入する際の通り道にあたっているため、ここは格好の見張り場だった。
やや北方の日尾城には、山県昌景(武田四天王・のちに長篠で戦死)に攻められたが撃退したという口碑が残る。
現在の小鹿野町西部は、対武田防衛戦の最前線だった。
写真は、登山口近くから望む毘沙門山。
うちの裏山である。

軽トラのタイヤ交換。
これは自分で。
薪作り少々。
見るのもイヤだった難物を切った。
鹿を里芋とごぼうと人参と大根となめことチンゲンサイで煮た。
調味料以外に購入品なし。
今までに食べた鹿で一番の味。

朝から薪作り少々。
ご近所から鹿をいただいた。ありがたい。
鹿肉の処理。
自動車のタイヤ交換とメンテ。
ディーラーさんにお願いした。

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