浅間山

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浅間山


 朝からマホラ公園で山林作業。

 その後、畑仕事。
 今まで荒れ地だったところを耕うん。
 荒れ地にしておくと、草が生えてどうしようもなくなるので、何かしら植えようと思う。

 えんどう豆がどんどん枯れ始めたので、潅水。

 写真は、昨日登った雨降山から望んだ浅間山。

チヨが歩いた道3

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 チヨの家に泊まっていたダイに、遠田宇市が1日に、矢納村の人々に困民党に参加するよう呼びかけた上、三波川に行って鉄砲を借りてきてほしいと頼んできた。
 ダイがそれを承諾すると、チヨの母ゲンが「物騒な世の中だから一人では心細かろう」と言って、チヨをつけてくれた。そこへ畑仕事のために通りかかったウラにチヨが声をかけ、けっきょく3人で三波川へ出かけることになった。

 3人は、チヨ宅のある小松集落を発って風早峠へ登り、矢納村へ下っていったのだが、その途中、ダイが、「「困民党に加われ」と言って歩こう」と言ったので、チヨは「それは面白い」と思って、高牛集落で、「下吉田村の困民党へ出なければあとで大勢が来てまずいことになるから出ろ」「どうせ出なければならないのだから早く出ろ」などと、言って歩いた。すると高牛で5人ほど集まってき、次の鳥羽集落でも、3人ほどが出てきた。それらの人々に、ダイが、三波川まで鉄砲を借りに行ってほしいと頼んだが、その件については誰も引き受けてくれなかった。女だけで鉄砲を借りに行くわけにもいかないので、どうせ三波川まで行くなら、3人で不動さまへお参りすることにしたのだとダイは述べている。

 * この物語は、チヨ・ダイ・ウラの供述調書に基づいて書いているのだが、ダイの供述が完全に事実を語っているかについては疑問なしとしない。遠田宇市が三波川で鉄砲を借りてきてくれと言ったというが、なぜ三波川なのか、はっきりしない。三波川に鉄砲を貸してくれそうな人がいたからなのか・・。もしそうだとすれば、その人の名前をあげて、「◯◯さんのとこから鉄砲を借りてきてほしい」という頼み方をしたはずだ。

 三波川といってもたいへん広い。「鉄砲を貸してくれー」とかどなりながら谷を歩いたところで、誰も貸してくれるわけがない。ダイは、鉄砲を貸してくれそうな人(すなわち困民党シンパもしくは自由党員)の氏名をおそらく隠している。
 かといって、警官がもっと厳しく問いつめればよかったとは、まったく思わない。体験者の談によれば、秩父事件の取り調べは、まだ一言も訊かない前に、樫の棒でまず何発か殴り、その後おもむろに尋問に入るというやり方だった。小鹿野町というところ(おれが住んでいるところだが)、警察署の庭の木に被疑者を縄で吊るして取り調べを行ったという。三人のうら若き女性がどんな目に合わされたかは、想像したくない。

平和と民主主義の正念場

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 日本の左翼には、歴史の大局観とでも言うべきものが欠落しているので、絶望する。
 その原因は、硬直した理論にある。
 共産党は、公明党を"反動ブロック"の主要な一員と位置づけ、日本の政治に深刻な逆行をもたらすと評価している。
 中道への評価も同様。

 独自の闘いはけっこうだ。

 公明党がくっついていた安倍さんは台湾有事は存立危機事態です(つまり中国が台湾に手を出したら日本は参戦する)とは言わなかったし、非核三原則を守ると言っていた。安倍さんは、ブレーキをうまく使いながら自分の望む日本を作ろうとした。安倍さんの意図はある程度実現したが、おりおりにブレーキもかかっていた。
 公明を突き放し、自らアクセルと自称する維新を取り込んだ高市さんの真の狙いは、よりフリーに武力行使できる日本の環境を整えることで、総選挙後にその全体が明らかになる。

 斎藤代表の訴えは、胸に落ちる。
 このどこが、ファシズムなのだろうか。

チヨが歩いた道2

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 朝、通院してからほぼ終日、農作業。

 いちごに潅水。
 2026年になってからまだ、2.5ミリしか降雨をみていない。
 ひどい渇水だ。

 畑に水道とかはないので、すべて雨水を利用しているのだが、秋までにためておいた雨水はほぼ、使い果たした。
 週末に雪が降る予報なので、それに期待する。

 以下は昨日の新井チヨに関する話の続き。

 新井チヨは当時、祖母のイカ(73)、母のゲン(45)、兄嫁のキク(24)と暮らしていた。兄の蒔蔵(21)は重木(隣集落)の村上泰治(17)が密偵殺害の疑いで逮捕されたとき、泰治を救おうとして抵抗し、以来、抗拒罪で指名手配されていたので、自宅にはおらず、群馬県天引村に潜伏していた。

 ダイは、群馬県上日野村の板割職人・小柏常次郎の妻だった。息子梅吉は前夫秋畑村田村藤吉の子で、9歳だった。常次郎は久しく留守だったが、10月31日に神奈川県の柏木太郎吉が自宅を訪れ、山で泊まり込みの仕事なので、毛布を持ってきてほしいという夫の伝言を伝えた。そこで11月1日に、城峯山で夫と待ち合わせて毛布を渡し、その日は新井蒔蔵宅に泊めてもらった。ダイはキクと親しかったので、チヨもまた、ダイと親しくするようになっていた。

 群馬県国峰村の遠田宇市が「どこからでもいいから刀を借りてきてくれないか」と言ってきた(時刻は不明)ので、明治17年11月1日(妹ヶ谷不動尊参りの前日)の午後15時に、ダイとチヨは二人で、重木集落の加藤重三郎(21)と卯八(姓不詳)の家からつごう3本の刀を借りてきた。刀は、チヨ宅の床の間においておいたら、誰かが下吉田村に持っていったらしい。

 この日、下吉田村では、秩父困民党の武装蜂起を夜にひかえ、午後にはすでに、警官隊と困民党軍との戦闘が始まっていた。困民軍側では、柏木太郎吉ほか1名が警官に斬られて死亡し、警官側にも死者が出ていた。チヨたちが借りてきた刀は、困民軍の武器となった。ダイの夫・常次郎は困民党の小荷駄方に任命され、困民軍のロジスティクスを担った。チヨの兄・蒔蔵は、潜伏先から立ち戻り、困民軍の下日野沢村小隊長に任じられた。秩父困民党は11月2日には大宮郷(現在の秩父市中心部)を制圧し、郡役所を占拠して革命本部をおいた。

チヨが歩いた道1

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チヨが歩いた道


 秩父郡下日野沢村の新井チヨ(19)は、頭痛持ちだった。彼女は、三波川妹ヶ谷の不動尊へ頭痛治癒の祈願をしてみたところ、霊験あらたかにて快癒したらしく、お礼参りに行こうと考え、群馬県上日野村の小柏ダイ(29)と自宅近所の黒沢ウラ(30)に声をかけ、明治17年11月2日に、三人連れ立って出かけた。

 三人連れが歩いた道ははっきりわかっているわけではないが、格別変わった道を行く必要はないから、当時もっとも一般的だったであろうルートを行っただろう。

 彼女たちはまず、チヨとウラの家がある小松集落を朝早く出立した。朝が早かったというのは想像だが、下日野沢から三波川の不動尊に行くには、健脚でもまる一日はかかるから、当然、朝は早くなければならない。チヨとウラの家がある小松集落から、彼女たちはまず、矢納村との境界にあたる風早峠に向かった。小松沢の細流に沿う昔の峠道は今、ブル道となっていて、当時の面影はない。風早峠から矢納村へ下っていくと、浜の谷集落・高牛集落・鳥羽集落を通る。ここまでは、チヨ本人が述べているから、間違いない。矢納村の先は今、神流湖によって道が寸断されているから、どこを通ったかやや不明だが、神山の南を巻いていくルートがもっともリーズナブルだろう。

 神山の南を下っていけばそこはもう、坂原村である。神流川を渡った先が、高瀬集落になる。不動尊へは、ここから法久集落を通り、石神峠へ登っていく。今は川沿いに国道462号線が走っているが、普通の歩行者はもっとも近くて楽に歩ける道を行く。明治30年測量の地形図には、高瀬からトラバースしながら露久保、さらに法久へ続く破線路が記されている。お参りが目的で、格別の足達者でもなかった若い三人の女性はもっとも一般的な道を行っただろうから、彼女たちが通ったのはこの道だろう。

 その日彼女たちは夕刻、三波川に着いたが、日の短い季節だったため、その日はダイの知人宅に泊めてもらい、不動尊へは翌朝お参りしたのち、チヨとウラは下日野沢村へ戻ることにした。ダイの家がある上日野村は、三波川から小柏峠を越えた日野の谷にある。ダイがまっすぐ帰宅するなら二人とはここで別れるべきなのだが、チヨとウラは、帰りの道がわからないと言う。そこでダイは、それじゃ送ってあげると言って、再び三人で石神峠へ登り返し、坂原村まで下ってきたところ、酒屋の前で警官により三人とも逮捕された。

 黒沢ウラはまったく無関係だったが、ダイとチヨは秩父困民党の関係者だった。その後の取り調べで、チヨは、驚くべき供述を始める・・。

 高瀬から露久保までの道は今も地形図に記載されているが、現状はほぼ廃道。しかし、部分的にははっきりした道型が残っていて、三人連れが歩いた当時をしのばせる、こんな石祠もある。露久保から法久への破線路は入口がまったく不明で今日は立ち入ることもできなかった。

改憲解散

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 高市さんは1月19日、「国論を二分するような大胆な政策、改革にも、果敢に挑戦していきたい」(官邸ホームページ)と述べて衆議院を解散した。しかしいろいろ語るなかで、「国論を二分するような大胆な政策、改革」とはなんなのか、まったく語っていない。
 ところが2月2日になって、新潟県での演説会で、「憲法改正もやらせてほしい」と述べた(日経)。高市さんのやりたいことが、ちらりと見えた。

野沢菜炒め

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野沢菜炒め


 今日で四日連続氷点下6度を下回った。

 朝からマホラ公園で山林作業。

 帰宅後、焚き付け作り少々。
 書き物少々。

 Runの日。

 冬に漬け込んだ野沢菜がやや酸っぱくなってきたので、炒めた。
 漬けただけより、炒めたほうがたぶん美味しい。

宗四郎山

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宗四郎山あたり


 今朝も氷点下7.3度だったので、水道凍結。
 このあと冬型がいくらか緩む予想なので、明日の冷え込みはいくらかマシだろう。

 今日もマホラ公園で森林作業。
 足元が痛いほど冷えるので、シモヤケ初期状態。

 写真は城山から望む宗四郎山あたり。

こんにゃく煮物

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こんにゃく煮物


 寒気きびしく、連日、水道が凍る。
 公式発表で氷点下6.2度だから、納得せざるを得ない。
 今年は昨年より寒いと体感する。

 朝からマホラ公園で山林作業。
 帰宅後、薪作り少々及びチェンソー研ぎ。

 こんにゃくを荒削り節と煮てみた。

衛星放送波中継実験

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 当地ではまだ、アンテナを立てるだけでは、テレビを見ることができない。
 地上波だろうが地デジだろうが、そもそも電波がないんだから、なにも映らない。

 これは、衛星放送波中継でテレビが映るか、実験してみたという記事。
 衛星放送波中継に関する予算がついたとかいう話ではないので、あまり画期的でもない。

 テレビを買えば誰でもテレビ暮らしができるのは、はるか遠い先らしい。
 そもそもテレビが必要なのかどうかという時代に入ってるのだが。

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