オオモミジ

| コメント(0)
オオモミジ


 鎮守の会計終わり。

 畑の草むしり。
 渇水の晩秋になったので、潅水少々。
 次回の降水はまったく見えない。

 薪作り少々。
 難物がまだ少し残っている。

 写真は、宝登山で見たたぶんオオモミジ。

チンゲンサイ

| コメント(0)
チンゲンサイ


 朝から鎮守の新嘗祭。
 祭典の会計処理。

 午後から薪作り少々。

 畑のナス・オクラの片づけ終了。
 エゴマ収穫終了。
 草むしり。

 青菜ができ始めた。
 大根・白菜がたぶん不作なので、これは助かる。

シータテハ

| コメント(0)
シータテハ


 自宅枯れ木置き場の整備。

 畑に行ってナス・オクラの片づけ。
 今年もよくナスを食べた。
 しかし苗四本では多すぎるし、挿し木苗作りのノウハウがわかったので、来年はもっと減らすつもり。

 エゴマの刈り取り。途中まで。

 写真は、宝登山で見たシータテハ。
 このところ小春日和の穏やかな日なので、蝶も飛ぶが、かれらはこれから越冬の正念場だ。

宝登山

| コメント(0)
破風山と甲武信三山

 またまた、秩父の大地の成り立ちを考えるために、今度は宝登山へ。
 思っていたような景観を見ることができて、大いに満足。

 山頂でラーメンを食べていたら、「うぉーい !」「いぇーい !」と、とてつもなくでかい声で怒鳴りながら、高校生の一団が登ってきた。
 その子たちときたら、とにかくでかい声で間断なく、「うぉーい !」「いぇーい !」と叫ぶ。

 「着いたぜ、うぉーい !」「のど乾いた、いぇーい !」「写真撮ろうぜ、うっしゃー !」「はいチーズ、いぇーい !」
 少し年長のお兄さん(たぶん先生だと思う)が、「も少し先の展望台で弁当にしまーす !」と言ったら、声を揃えて「やったー、いぇーい !」と言いながら、去っていく。

 とてつもない喧騒の集団がいくつか、訪れては去っていった。
 しばらくすると山頂は再び、高齢のハイカーが静かに憩う静寂に包まれた。

 おれは、「10年ほど前に受け持ってたクラスは、あいつらよりもっと騒がしかったぜ・・」と、ちょっと懐かしくなっていた。
 展望はまぁまぁで、先週登った破風山の向こうに、甲武信ヶ岳が見えていた。

大ミズナラ

| コメント(0)
ミズナラ


 花梨枝の片付け続き。
 薪作り少々。山のようだったケヤ玉がかなり少なくなった。

 午後、畑へ。
 大豆は今年も凶作だった。
 種子もとれないかもしれない。
 夏の暑さのため、種まきを後ろにずらしているのだが、九月になっても真夏と同じように暑いので、いっそのこと、早まきで対応したほうがいいかもしれない。

 写真は、岩原城址の大ミズナラ。

大ツガ

| コメント(0)
大ツガ


 花梨枝の片付け。
 薪作り少々。

 鎮守の祭礼準備。

 写真は、岩原城址・本曲輪手前斜面の大ツガ。

岩原城址

| コメント(0)
雲の中の常念


 安曇野・堀金村の岩原城址へ。
 砂渡山神社から尾根上の踏みあとをたどる。

 傾斜がきつく、こんな城を攻めろと言われたらやだなぁと思いながら登った。
 本曲輪の説明板には「堅固な防御が特徴の岩原城」と書いてあって、納得した。

 晴れ予報は間違ってなかったのだが、常念さんは雲の中だった。

ムキタケ

| コメント(0)
ムキタケ


 薪作り少々。チェンソー刃研ぎ。
 午後は畑で草むしり。

 写真は、池山で見たムキタケ。
 あまりたくさんとれなかったので、その場で食べてしまった。

アカタテハ

| コメント(0)
アカタテハ


 やはり疲れたので、お昼前に畑へ。
 各種収穫。

 草むしり。
 各種食べ物作り。

 水曜日に氷点下が想定される。

 写真は、破風山で見たアカタテハ。

破風山展望

| コメント(0)
破風山展望


 終日、秩父事件の史跡めぐり。
 天気もよく、いい巡検だった。

 コロナワクチンを打った腕が痛かったが、発熱等はたぶんなかった。

 破風山11回目。

 足元に広がる展望から、大地の成り立ちと人々の暮らしを読む。
 堀切と太田との境の細い沢は奥が浅いが、まとまった雨が降れば、用水として使えたかもしれない。しかし、旱天ではどうにもならなそうだ。
 田んぼはできるが、苦労するだろう。

 太田の中央を貫通する伊古田川が、太田田んぼを潤したメインの水源だ。
 浸食は浅く、取水も困難でない。
 並行して流れる蒔田川と似ている。

 しかしこれだけ広大な田んぼに水を行き届かせるには全然足りない。
 戦後に、赤平川からポンプアップできるまでのコメ作りは、大変だっただろう。

 旧太田村を俯瞰すると、赤平川沿いに人家が立ち並ぶ。
 川は深く侵食されていて、河岸段丘はない。
 これを見ると、ここの河道は河岸段丘ができるより前、比較的早くに定まったものだろう。
 比高はほとんど存在しないが、赤平川べりは自然堤防で土砂が堆積し、地盤がしっかりしているのに対し、その背後、南側は傾斜のほとんどない後背湿地をなしている。
 この後背湿地が太田田んぼなのである。

 西に目を転じてみると、下吉田が見える。
 ここは赤平川と吉田川の合流点にあたる小盆地だが、いずれの川も流路は曲がりくねり、また浸食は浅い。

 これを見ると、河道が定まり侵食が進む以前に文明が訪れ、氾濫原の中に市街地ができてしまったことが想像される。
 さまざまなことが観察できて、学ぶこと多き山行きだった。

 自然堤防・河岸段丘・氾濫原・後背湿地などは、地理の教科書に出てくる基本用語なんだが、この山に立つと、それがひと目で見学できちゃうんだから、楽しい。

2025年11月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

アーカイブ

カテゴリ

最近のコメント