
花梨枝の片付け続き。
薪作り少々。山のようだったケヤ玉がかなり少なくなった。
午後、畑へ。
大豆は今年も凶作だった。
種子もとれないかもしれない。
夏の暑さのため、種まきを後ろにずらしているのだが、九月になっても真夏と同じように暑いので、いっそのこと、早まきで対応したほうがいいかもしれない。
写真は、岩原城址の大ミズナラ。

花梨枝の片付け続き。
薪作り少々。山のようだったケヤ玉がかなり少なくなった。
午後、畑へ。
大豆は今年も凶作だった。
種子もとれないかもしれない。
夏の暑さのため、種まきを後ろにずらしているのだが、九月になっても真夏と同じように暑いので、いっそのこと、早まきで対応したほうがいいかもしれない。
写真は、岩原城址の大ミズナラ。

安曇野・堀金村の岩原城址へ。
砂渡山神社から尾根上の踏みあとをたどる。
傾斜がきつく、こんな城を攻めろと言われたらやだなぁと思いながら登った。
本曲輪の説明板には「堅固な防御が特徴の岩原城」と書いてあって、納得した。
晴れ予報は間違ってなかったのだが、常念さんは雲の中だった。

薪作り少々。チェンソー刃研ぎ。
午後は畑で草むしり。
写真は、池山で見たムキタケ。
あまりたくさんとれなかったので、その場で食べてしまった。

やはり疲れたので、お昼前に畑へ。
各種収穫。
草むしり。
各種食べ物作り。
水曜日に氷点下が想定される。
写真は、破風山で見たアカタテハ。

終日、秩父事件の史跡めぐり。
天気もよく、いい巡検だった。
コロナワクチンを打った腕が痛かったが、発熱等はたぶんなかった。
破風山11回目。
足元に広がる展望から、大地の成り立ちと人々の暮らしを読む。
堀切と太田との境の細い沢は奥が浅いが、まとまった雨が降れば、用水として使えたかもしれない。しかし、旱天ではどうにもならなそうだ。
田んぼはできるが、苦労するだろう。
太田の中央を貫通する伊古田川が、太田田んぼを潤したメインの水源だ。
浸食は浅く、取水も困難でない。
並行して流れる蒔田川と似ている。
しかしこれだけ広大な田んぼに水を行き届かせるには全然足りない。
戦後に、赤平川からポンプアップできるまでのコメ作りは、大変だっただろう。
旧太田村を俯瞰すると、赤平川沿いに人家が立ち並ぶ。
川は深く侵食されていて、河岸段丘はない。
これを見ると、ここの河道は河岸段丘ができるより前、比較的早くに定まったものだろう。
比高はほとんど存在しないが、赤平川べりは自然堤防で土砂が堆積し、地盤がしっかりしているのに対し、その背後、南側は傾斜のほとんどない後背湿地をなしている。
この後背湿地が太田田んぼなのである。
西に目を転じてみると、下吉田が見える。
ここは赤平川と吉田川の合流点にあたる小盆地だが、いずれの川も流路は曲がりくねり、また浸食は浅い。
これを見ると、河道が定まり侵食が進む以前に文明が訪れ、氾濫原の中に市街地ができてしまったことが想像される。
さまざまなことが観察できて、学ぶこと多き山行きだった。
自然堤防・河岸段丘・氾濫原・後背湿地などは、地理の教科書に出てくる基本用語なんだが、この山に立つと、それがひと目で見学できちゃうんだから、楽しい。

ごまが乾いたと思われるので、トウミ掛け。
まずまずとれた。
向こう一年、ごまを飽食しても大丈夫。
コロナとインフルワクチンをダブル打ち。

お昼過ぎてから破風山へ。
6年ぶり。これで11回目。
奥武蔵や秩父の里山には、山の中にお茶の木が多い。
今はスギ林だけど、かつては、お茶畑だったんだろう。
杉が育って暗くなっても、お茶は枯れずにいるから、花も実も残っている。

午前中、思うところがあって、畑から裏山をひと回りした。
中間地点のあずま屋で小休止。
奥秩父連山(芋木ノドッケ・飛龍山・和名倉山・雁坂嶺あたり)を眺めながら、干し芋とササギ汁粉をいただいた。
たいした歩きじゃないので、お腹いっぱいだ。
午後、冬越し野菜その他のメンテナンス。
通院。

午前中、薪作り少々。
午後は農作業。
玉ねぎを植え終えた。
今年は苗作りが異常にうまくいったので、おそらく600本以上植えた。
Runの日。

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