
午後に雨があがったので、農作業。
草むしり少々。
つくね芋のメンテ。
さつま芋の苗差し。
雨が降ってきたので、退散。
秩父事件に関する原稿書き。
写真は、大博多山から望んだ御神楽岳。
右の鋭鋒は笠倉山だが、ちょっと登れそうな感じがしない。

午後に雨があがったので、農作業。
草むしり少々。
つくね芋のメンテ。
さつま芋の苗差し。
雨が降ってきたので、退散。
秩父事件に関する原稿書き。
写真は、大博多山から望んだ御神楽岳。
右の鋭鋒は笠倉山だが、ちょっと登れそうな感じがしない。

夜半から朝にかけて雨だったが、しばしあがったので、農作業。
四角豆小苗の植えつけ。
自家採種の種ではほとんど発芽しないのだが、買った種はほぼ発芽する。
ナスの挿し木苗が発根したので植えつけ。
この一本から15個くらいとれることを希望。
草むしりと防草シート敷き。
夕方から再び、雨。


終日、雨降り。
ちょっとのやみ間に、秋いんげん(大福豆)をポットに種まき。
町役場のある中心街で熊が出たらしい。(『埼玉新聞』)。
こうなるのは時間の問題だと思っていた。
ところで、先日登った大博多山もずいぶん、熊の気配が濃かった。
熊剥ぎが三か所、熊糞をニか所で見た。
うち一か所の熊糞は新鮮なものだった。

やみ間に畑に行って食料調達。
人参の片づけ。
またすぐ降り始めたので、そこまで。
写真は、大博多山・支尾根の大ブナ。
かなりの急登で、苦しい登りだった。

南会津の大博多山へ。
この山域へ来たのは2022年の博士山以来。
南会津らしく、重厚なブナ林、尾根上のヒメコマツ、好展望。
この日は雲が多く、展望は今一つだった。
これは遠望した奥白根。
学者の仕事は、新しい知見を見いだすことである。新しい知見が無から見出されることはないので、それは、先行学説を吟味し、そこに含まれる盲点や矛盾を発見し、より真である説を立てていくことによって、学の進歩が実現する。
例えばマルクスやエンゲルスの著作の多くは、先行する哲学者・経済学者の学説の徹底的な批判を土台とし、その上に彼ら独自の理論を構築している。学の発展の基本は批判だから、これは学問の王道だと言える。批判とは、先行学説の盲点や矛盾を見いだし、それらにブースト(増幅)をかけて論点を明確化する作業である。論点が不明瞭では批判にならないから、これはターゲットとする説を否定する作業である。学問の世界で、知的妥協は許されない。
一方、現実の世界は、学問の世界ではない。人は多様であって、人がふたりいれば、その考え方がすべてにおいて一致するなどありえない。それでも人は、生きるため、またよりよい生存環境を作るために共生し、協力なければならない。
現実の人間関係の中で、自分と第三者との思想や学説などのちがいにブーストをかけ、論理的妥協を拒否するかのような言説・態度は、現実世界においてきわめて有害である。それは協働を破壊し、協働の場を破壊するから。
このような言説・態度をとりあえず、「学者しぐさ」とよんでおこう。言うまでもなく、これは「学者にありがちなしぐさ」という意味ではなく、現実世界において異説・異論を許さない言説のことである。「学者しぐさ」は、現実社会の中で、なんの有益な議論も運動ももたらさず、混乱のみを結果する。
戦後日本において、「学者しぐさ」が左翼陣営に顕著で、保守的な人々がむしろ、寛容(リベラル)だったのは、事実である。このような傾向が今後も続くかどうかはわからないが、自分としては、現実社会における「学者しぐさ」とのおつきあいは、ごめんこうむりたい。

朝から農作業。
草むしりと防草シート敷きの続き。
ウドの剪定終わり。
ごまの間引き。
里芋の追肥と土寄せ。
里芋の土寄せは本来、梅雨明け前後の作業なのだが、成長が順調すぎて驚く。
去年はもっとも成長する真夏に雨が少なくて、結果的に大不作となったのだが、今年はいかに。
ルバーブの収穫とジャム作り。
自宅でルバーブをビニールポットに鉢上げ。
写真は、黒伏山で見たシナ。
大木だが、巨木というほどではない。

朝から午後にかけて、農作業。
草むしりと防草シート敷き。
ウドの剪定。途中まで。
大豆の種まき(赤大豆・借金なし)。
トマトに雨除け設置。
ずっと雨除けなして作ってとくに問題なかったのだが、ここ数年、不作が続いている。
雨よけというより、日よけが必要なのかも知れない。
いんげん豆の最盛期。
さや実はもちろん、消費しきれないので、このまま放置する。
白い種実は乾燥保存して、冬の夜長に煮豆を作る。

朝から農作業。
さつまいも植えつけの準備。
苗がまだほとんどできてないとはいえ、植える場所がやや足りない感じ。
小豆の種まき。
四角豆の種まき。
四角豆は驚くほど発芽が悪い。
原因不明。
午後は雨。
「ミルクの中のイワナ」という映画を見に行った。
在来イワナの保全に関する識者の談話を流し続けるといった作品だったが、それらの談話は至極もっともな内容だった。
知識をもたない印象批評家が突飛な印象を述べるような浅薄なものでなく、共感できる作品だった。
この写真も、黒伏山のブナ。
こちらはキリッとカッコよく立っている。

朝から身体休め。
夕方、畑に行って、きゅうりの葉とリとツル誘引。
さつまいものツル挿し始め。
写真は、黒伏山の巨ブナ。
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