
氷点下4.4度とまぁまぁの寒さだが、この冬一番の寒さなので、けっこうこたえた。
留守にしている間に、いくらか降ったらしい。
たとえ焼け石に水でも、ないよりずっとまし。
畑もいくらか潤った感じ。
写真は、御室八十八か所の小堂。

氷点下4.4度とまぁまぁの寒さだが、この冬一番の寒さなので、けっこうこたえた。
留守にしている間に、いくらか降ったらしい。
たとえ焼け石に水でも、ないよりずっとまし。
畑もいくらか潤った感じ。
写真は、御室八十八か所の小堂。

新東名をガンガン走っているうちに、雨はやんだ。
風は強いが、雲がとれてきたので、清水インターで降りて浜石岳へ。
登山口ではあいにく、風花が舞っていたが、ピークに着けば風もやみ、けっこうな展望が得られた。
三島・沼津あたりではまだ降ってる感じ。
遠景は伊豆。駿河湾とはこんなにきれいな海だったのか。

雨はまだやまないが、せっかくなので、木嶋坐天照御魂神社へ。
続日本紀の大宝元年の条に記載があるとのことなので、間違いなく古い神社である。
説明板には、渡来人秦氏にゆかりがあると書かれていが、さもありなんと思われる。
ここまで歩いてかなり疲れたので、この日はここまでとした。
地下鉄と嵐電の位置関係をよく理解すれば、もう少し能率的に歩けると思う。

雨はちっともやまないし、足が濡れて気持ちがよくないので、東山駅から地下鉄に乗って太秦へ。
太秦天神川駅で降りて、猿田彦神社。
ここには常在する宮司さんはおらず、街なかの一角にある小さな神社だった。
庚申信仰とは、われわれ凡俗の人間が犯した悪事を神様に告げ口する、三尸(さんし)なる小悪魔を抑えるために、その天敵(青面金剛という仏神)を供養してお願いしたり、みんなで徹夜することにより三尸の行動を封じようという信仰である。
江戸時代に一部の思想家が、猿田彦が三尸の天敵だという説を唱えたために、それを信じる人々もいて、太秦の猿田彦神社はかつて、それゆえにけっこう賑わったらしい。

一度下の通りまで下って、尊勝院へ登りかえす。
こちらは元三大師をまつるお寺だが、青面金剛をも併せておまつりしている。
声をかけてみたら、尼僧のかたがとても親切にご朱印を書いてくださった。立ち話少々。

東大路へ戻り、北上。
道草しないつもりだったが、八坂神社に立ち寄り。
うちの部落でも、夏には牛頭天王さまのおまつりをしているので、総本山(?)にもご挨拶した方がいいかなと。
三条通に出て東に向かうと、地下鉄の駅あり。
京都に地下鉄ができたんだ・・。
まずは旗の林立する粟田神社へ。
出世の神様とのことなので、おれには縁がないのだけれど、学問成就も助けてくれるらしいので、しっかりお参り。

雨の京都を散策。五条駅から歩き始め。
五条駅は清水五条駅と名前が変わっており、それもそれでさることながら、駅が地下にもぐっているのだった。
清水寺も六波羅蜜寺も通り過ぎ、路地に入って八坂庚申堂へ。
小さなお堂だが、参詣者はそこそこいた。
お参りして、ご朱印をいただいた。

御室仁和寺から成就山をひと回り。
あまりにも観光客が少なすぎて、驚いた。
中国の方がほとんどいない。
登山道に八十八の小堂が立つ。
ただかなり傷んでるのが多くて、数が多いだけに修理はたいへんそうだ。
山からお寺の境内に降りてきたところに、熊が出ているという掲示があった。

神社関係の会計処理終わり。
今年の神社関係の仕事は終了。
昨冬に仕込んだ味噌一号を開けてみた。
今年もよくできていた。
黒っぽく見えるのは、赤大豆を使ってるから。
塩分やや多めだが味はよい。
風味のよい大豆を使うと美味しい味噌ができる。
日本人だから当然、味噌を大量に消費する。
夏くらいまでは手前味噌を食べて、自分の味噌がなくなったら、登山で訪れた地方の地味噌を買って食べる。
登山に行くと、地味噌・地醤油・地酒・地蜂蜜を買うのがとっても楽しみ。

朝から神社関係の集まり。
歳神様などを氏子の皆さんに配布。
午後は畑仕事。
ウド畝直し完成。
ガーデンハックルベリーの片づけ。
釜石の純吟・浜千鳥。
芳醇で雑味のない美酒。
麹の甘さが気になる人がいるかも知れないが、身体にしみ入る健康的な甘さだ。
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