
朝から農作業。
各種夏野菜のメンテ。
草むしりと防草シート敷き。
最高気温は37.1度と出ているが、身体に堪える暑さだった。
写真は、浦倉山でみた高原モズ。
レンズの力が足りず、鮮明な写真は撮れなかった。

朝から農作業。
各種夏野菜のメンテ。
草むしりと防草シート敷き。
最高気温は37.1度と出ているが、身体に堪える暑さだった。
写真は、浦倉山でみた高原モズ。
レンズの力が足りず、鮮明な写真は撮れなかった。

上信国境の浦倉山へ。
嬬恋村と須坂市の境界なんだが、それはどこかと言われてもピンとこない。
パルコールスキー場の駐車場から往復。帰りはゴンドラでと思っていたが、平日はゴンドラ休業だった。
野地平湿原に期待していたが、乾燥化が進んで草原と化しており、草花はほとんど咲いていなかった。
平野部の気温は39度くらいと、ひどい暑さだったが、山はそれほどでもなかった。
戦後すぐの時期に、熊沢天皇事件が起きた。愛知県で雑貨賞を営んでいた熊沢寛道さんが、「自分は後亀山天皇(南朝)の子孫であり、裕仁(昭和)天皇は不法に帝位を奪った北朝の子孫であるから天皇として不適格」と主張したのである。熊沢さんは昭和天皇を告訴したが、天皇は裁判権外の存在だという理由で訴えは却下された。
後亀山天皇の没年は1424年とされる。このかんの国会審議の過程で宮内庁の緒方禎己次長は、今回成立した皇室典範改正案に関し、養子となりうる旧宮家について、「崇光天皇の皇子・栄仁親王から始まる伏見宮の系統であり、1428年に系譜が枝わかれしたものと承知している」などと説明した。(7/10『毎日』) 緒方次長が述べられている時期は、天皇家が混乱の極みにあった時期である。
15世紀始めはまだ、南北朝時代のさなかで、天皇を自称する人物がふたり存在し内乱状態にあった。天皇の証明たる三種の神器を所持していたのは、熊沢さんがご先祖だと主張する後亀山天皇だった(これもやや怪しい)が、後亀山が1392年に、北朝の後小松天皇に天皇の地位と神器を譲る形で、内乱が終わった。ちなみに現在の天皇家は北朝の系統だが、戦前までは、南朝(すなわち後亀山天皇の側)が正統とされ、現天皇の先祖である北朝側の天皇は、いまなお歴代天皇の数にも入れられていない。
室町時代の始めごろに天皇だった人の子孫が、男系の子孫だという理由で、宮家(いわゆる皇室)の養子となり、その子が皇位継承者になることが、今回の改正で可能になったのだが、いくら理論上とはいえ、室町時代までさかのぼれば親戚だというのは、無理がありすぎる。ひろゆきさんが「36親等遡って親族って言うなら、地方で昔から住んでる近所の人は、ほぼ全員親族だよ。。。1代遡ると親族は2人 10代遡ると親族は1,024人 20代遡ると親族は約100万人 30代遡ると親族は約10億人」と述べているが、そのとおりである。皇族になる資格がある可能性がある人はうじゃうじゃいるだろうから、今後、熊沢天皇が続々とあらわれるかもしれない。
そして、まちがいなく天皇の子である愛子さんは、ご本人の意思にかかわらず、絶対に天皇になれない。愛子さんがどんな人か、おれは知らないし、この件(愛子さんが天皇になれない件)に関してあまり関心がないのだが、世論調査を見る限り、国民の中には愛子天皇期待論も強いらしい。おれはポピュリズムは嫌いだから、絶対に賛成しないが、小林よしのりさんとかが「愛子さんを天皇にする党」を作って次の選挙に候補者を立てたら、そこそこ支持されるんジャマイカと思ってしまう。

霧雨状態になったので、午後から畑仕事。
草むしり少々。
防草シート敷き少々。
さつま芋挿し。
さつま芋予定地掘り少々。
ミンミンゼミ初鳴き。
写真は、ハナビラタケのジャーマンポテト風。

やみ間を見て、畑仕事。
草むしり少々と防草シート敷き。
芽の出ない人参の追加種まき。
夏の人参はじつに芽が出ない。
ひどい暑さが一段落して助かるが、週明けには次の熱波が来る。
写真は、ハナビラタケを使ったパスタ。

いんげん摘み少々。
いんげんを毎日摘んでは干す。
さつま芋挿し少々。
さつま芋予定地の造成続き。

クルマのメンテのため町へ出かけ、いんげんを摘んで帰った。
いんげん摘みも峠を越えた。
上信国境のカラマツ林でハナビラタケを見つけた。

毎日、いんげん摘み。
そろそろ峠を越えたと思うが、まだまだ残っている。
さつま芋挿し。
草むしり。
写真は、チャツボミゴケ。

秋いんげんのツルが伸びてきたので、ひもで誘引。
ローゼルとガーデンハックルベリーのメンテ。
さつま芋予定地の造成続き。
春いんげん種実摘み。
写真は、坊寺山登山口付近の湿地で咲いていたオオバミゾホオズキ。

最近のコメント