三陸リアスの展望
−鯨山 −

【年月日】

2025年10月23日
【同行者】 単独
【タイム】

陸中海岸青少年の家(9:22)−大沢分岐(10:36)−鯨山(11:16-11:58)
−大沢分岐(12:27)−陸中海岸青少年の家(13:05)

【地形図】 陸中山田 大槌 ルート地図

 前日のお昼前に家を出て、ほぼ終日走ったので、まぁまぁの時刻に歩き始めることができた。
 連日、熊が大暴れしているので、熊スプレー携帯。

ナラタケ
鯨山神社

 キャンプ場を突っ切って小沢を渡り、小尾根に取りつく。
 ごく普通の雑木林。
 ナラタケが出ていたので、摘んでいく。

船越半島
ナラタケラーメン

 全山がほぼ二次林で、しかも細い木が多いので、きのこはあまりなし。
 主稜線に登れば、ほぼ平坦な道となる。

 少し下って、大沢コース分岐になる峠。
 しばし緩やかに登れば最後の登りになる。

 露岩を交えた登り少しで鯨山神社の石祠。
 祠の前に獅子頭がおいてある。

センブリ
ひょうたん島

 山頂から東側に船越湾が見える。
 青葉山(若狭)、龍仙山・姫越山(志摩)とリアスめぐりしてきたのだが、今回、三陸リアスを眺めることができて、とても満足だ。

 ここで大休止。

 帰りは大沢コースへ。
 こちらは沢沿いの広い道。
 途中から作業道になる。

 広大な伐採地にはピンクテープをつけた苗木が植えられていたが、ミズナラの苗のようだった。
 網のようなものでガードしないと鹿に食われてしまうのではないかと危惧される。

 昼過ぎには元の駐車場に戻ることができた。

天照御祖神社境内にあった金精様
うみねこ

 下山後、大槌町の赤浜漁港へ。
 ここにはひょうたん島があるらしい。

 ひょうたん島がどの島か、井上ひさしさんははっきり語っておられないと思うが、大槌湾に浮かぶ蓬莱島だろうと言われている。

 赤浜漁港からひょうたん島へは防波堤でつながっている。
 けっこう胸がいっぱいになった。
 若い人たちがアニメの聖地に行くと、こんな気分になるんだろうな。

 防波堤でうみねこが歩いていた。

 あのころ、日本中の子どもらが18時前に家に帰ったのは、ひょうたん島が気になるからだった。
 人形の動きも秀逸だったし、劇中で人形たちが歌うコーラスもよくできていた。
 今はあのように楽しい番組があるのだろうか。

 赤浜の最寄り駅の吉里吉里駅にも立ち寄った。

 駅に駐車スペースがないので、天照御祖神社に自動車をとめる。
 無事下山御礼のため、まずはお参り。

吉里吉里駅
三浦命助の碑

 石段の途中に、津波到達地点の表示がある。
 ここまで浸水したのなら、それより低い吉里吉里の街は壊滅したということだ。
 市街地の家々はすべて新築されたばかりで、きれいだったが、復興したと喜んでいいものかどうか。

 吉里吉里駅は高台にあるので、浸水はしてないと思う。
 吉里吉里駅に、『吉里吉里人』に関する掲示物や展示物は何もなかった。

 井上ひさしさんの『吉里吉里人』で、東北の一角に出現した人口4000人の吉里吉里国は、食糧とエネルギーを自給して独立を宣言し、約二日間にわたって独立を維持する。
 明治17年に秩父困民党は、事実上の地方政権を樹立して日本陸軍と対峙した。
 ずいぶん前に、秩父事件研究顕彰協議会で井上ひさしさんの講演を実現できないかと提案したが、井上さんがドタキャンするのではないかという意見が出て、実現しなかった。
 井上さんが『吉里吉里人』執筆に際し、秩父事件をヒントにしたかどうか、ぜひ聞いてみたかった。

 この日はもう一つ、釜石市栗林にある三浦命助の碑を見に行った。

 命助の碑は、鵜住居川に沿って少し入ったところにあった。
 三閉伊一揆(1853年)の指導者の一人だった三浦命助一万六千人の百姓の声を背景として南部藩と交渉し、要求をほぼ認めさせた。
 のち捕まって牢死したが、獄中記に「人間は三千年に一度咲くうどんげなり」と記した。
 おなじ人間は二人と存在しない、ひとりの人間とはそれほど希少な存在なのだという意味である。
 命助については、深谷克己『南部百姓命助の生涯』に詳しい。

 やや陽が傾いてきて、この日は、それ以上動くエネルギーが尽きた。