大倉岳周回

【年月日】

2019年10月1日
【同行者】 単独
【タイム】

赤倉岳登山口(7:59)−大倉岳(9:56-10:44)−赤倉岳(11:34)−
赤倉岳登山口(12:34)

【地形図】 大倉岳 ルート地図(マウスホイールまたは左下のズームで拡大・縮小)

 太宰治は、『津軽』で大倉岳についてふれている。

 観瀾山からほぼまっすぐ西に青く聳えている大倉岳は、この山脈に於いて増川岳などと共に最高の山の一つなのであるが、それとて、七百メートルあるかないかくらいのものなのである。けれども、山高きが故に貴からず、樹木あるが故に尊し、とか、いやに興ざめなハッキリした事を断言してはばからぬ実利主義者もあるのだから、津軽の人たちは、敢えてその山脈の低きを恥ぢる必要もあるまい。この山脈は、全国有数の扁柏の産地である。その古い伝統を誇ってよい津軽の産物は、扁柏である。林檎なんかぢゃないんだ。

 『津軽』はよく調べられているだけでなく、太宰らしさ満開のよい作品だが、津軽をいくらか歩いてみて、この作品のよさがより深く感じられた。

 蓬田小学校近くから林道に入り、山塊の奥深くまで走る。
 途中のスギ林が伐採の最中で、大量の丸太を積んだトラックが行き来して、すれ違いにやや不安があったものの、赤倉岳登山口まで、無事にたどり着いた。

 腹ごしらえののち、まずは大倉岳へ向かう。
 ミズの群生した林道をしばらく行って、小沢を跳んで渡ったところから、山に取りつく。

ヒバの森(大きな写真)
ミヤマシキミ(大きな写真)

 とりあえず、最初から急登。
 あたりはヒバ林だ。
 巨大な木はあまりないが、これだけまとまったヒバ林は、日留賀岳でしか、見たことがない。
 ヒバを鑑賞しながら登っていく。

 傾斜が緩むとヒバよりブナが多くなる。
 ブナも原生林なのかどうかわからないほど、巨木が少ない。

 後潟方面分岐から主稜線となり、この日の頑張りどころを登りきると、大倉岳避難小屋。
 かなり傷んでいるのが見てとれ、入口にはブルーシートがかけられて、使用禁止と書いてあるようだった。

 少し下って、ゆっくり登ると、大倉岳の入口。
 地形図にある通りの急登しばしで、木のお宮のある山頂についた。
 なんのためか、郵便ポストの設置されたお宮はもう、お祀りされていないように見えた。

ブナ(大きな写真)
ブナ(大きな写真)

 灌木に囲まれているが、晴れていれば展望はよさそうである。
 北側が特によく見えるので、外ヶ浜の水田地帯や青森湾や津軽海峡などをできれば見てみたかった。

 いくらか風があったが、ここで大休止。
 普段よりやや長めに休んだ。

大倉岳から赤倉岳(大きな写真)
トンビマイタケ老菌(大きな写真)

 もとの道に戻り、赤倉岳へ向かう。
 大倉岳単独で登られることが多いのか、ここからは刈払いされておらず、ネマガリタケのかぶさったヤブ道となった。

 ここからブナの大木が多くなり、ヤマトリカブトの花やツルリンドウの実も見られ始めた。

 ほぼ存在しない袴腰岳方面への分岐を見送ると、赤倉岳への登り。
 日本海からの風をまともに受ける場所なのか、標高500メートル少々で森林限界を超える。
 ミヤマナラの中を切り開かれた道を登っていくと、大倉岳や袴腰岳などが望まれた。

イタチタケ類似きのこ(大きな写真)
津軽平野(大きな写真)

 赤倉岳の山頂にもお宮があった。ここから再び樹林帯の下り。
 えらく急傾斜なところを下ると、あとはほぼ平坦な道だった。
 途中のブナにトンビマイタケが出ていたが、一週間ほど遅かった。

 下りきった湿地帯には、ウワバミソウが群生していたので、またまたミズ玉とりをしながら駐車スペースに戻った。

斜陽館(大きな写真)
音次郎温泉

 下山後再び山越えで金木町に行き、斜陽館を見学した。
 斜陽館を見る前に三味線の生演奏を聞いたら、いつの間にか大型バスが2.3台来ていて、斜陽館はお客さんでいっぱいだった。
 駐車場横には、斜陽館の土産物屋さんなんかもあって、含羞の作家がこれを見たら、恥ずかしさのあまり悶えるだろうと思われた。

 高速道路に乗る前に五所川原の音次郎温泉で汗を流した。
 五所川原は平野の中の平凡な町に見え、音次郎温泉は住宅街の中にあって、一瞬、これは銭湯かと思ったが、入ってみれば、とても良い泉質のよい温泉なのだった。