センジュガンピを愛でながら
−遠野から六角牛山−

【年月日】

1993年8月6日
【同行者】 3人
【タイム】

登山口(10:19)−七合目(11:35)−六角牛山
(12:44-13:10)−登山口(15:00)

【地形図】 陸中大橋

 今年の夏、ことに8月にはいってからは殺人的な忙しさだった。7月31日から8月1日まで出張、8月2日の早朝から北海道へ出張、4日に戻ってきたと思ったら5日の早朝から母と約束していた東北への旅行に出た。

 秩父から花巻まで余裕をみて8時間半、宮沢賢治記念館などを見学するためには遅くとも6時に出発しなければならない。そう思って早めに休んだのだが、翌朝目覚まし時計が鳴ったのはわかっても、からだが動いてくれなかった。

 それでもどうにか6時すぎには家を出、順調に東北道に入った。途中 、何ヶ所かのパーキングエリアでそれぞれ2時間近い休憩をとり、そのたびにぐっすり眠った。おかげでその日は花巻で2ヵ所見学し、鉛温泉に泊まってやっとゆっくりすることができた。鉛温泉はなかなか大規模な温泉宿で食事も部屋もよかった。また、立って入る混浴の「白猿の湯」も秘湯らしくて感じがよかった。

 6日は花巻を通り抜けて遠野に向かった。遠野といえば早池峰山だが、ガレ場やハシゴは母にはちょっと無理。
 遠野には『遠野物語』にたびたび出てくる六角牛山もある。こっちは高山植物にお目にかかることはできないが、それほどけわしくないので、母にもなんとか登れそうだし、ガスがかからなければ遠野盆地や早池峰の大展望だって望めるかもしれない。

 国道を青笹駅まで行きすぎて少し戻り、笛吹峠への県道に入る。道路脇の畑のたばこの葉が少し黄色くなっている。

 糠ノ前バス停から林道に入り、六角牛山登山口に着いたのは10時を回っていた。午後から雨になるかもしれないという天気予報を裏づけるように、六角牛山の上部にはガスがかかっていた。

 登り始めてしばらくは、雨量観測所への自動車が通る林道。クガイソウ、ウツボグサなどが咲く平坦な道だ。雨量観測所を過ぎても山道は相変わらず緩やか。

 二合目で荒れた登山道が合流するが、ウバユリ、ゲンノショウコなどが咲いている以外はかわりばえがしない。やがて若いカラマツ林となり、タラノキやヤマブドウなどがちらほら。ヤマブドウにはみどり色の実がついていた。

 そこを過ぎるとミズナラやイタヤカエデなどの広葉樹林となり、早出のキノコも見られだしたが、出ていたのはテングタケやニガクリタケや木に出る黒褐色のキノコくらいで、食べられそうなのはひとつもなかった。

 鳥でめだったのはウグイスくらい。やがてセンジュガンピの清楚な花があらわれ、頂上近くまでガンピだらけの道となった。
 道標に休石と書いてある四合目から傾斜がきつくなる。山自体は穏やかなのだが、真っすぐ上にむかって道がつけられているため、なかなかの登りだ。

>  タマガワホトトギス、ダイコンソウ、トリアシショウマなどもまじるがなんといってもセンジュガンピが多く、花を斜め下のほうに向けて咲いているため、登りながら顔をあげると、いつもセンジュガンピの花が目の前にある。オオバギボシやソバナはまだ少し早く、ヤマオダマキはすでに種子になっていた。

 登りが急なので何度も何度も休みながら行く。ずっとそんな感じだったが、八合目をすぎるとやや平坦な尾根となり、ササの丈も低くなってナナカマドなどの潅木ごしに、ガスのむこうにうっすらと遠野盆地が見えた。

 遠くメボソムシクイの鳴く声も聞こえて、高さを感じる。相変わらずセンジュガンピが多いが、ニガナ、シロバナニガナ、ホツツジ、ヤマブキショウマなど、やや高山的な花も見られだす。花は終わっているが足元にはマイヅルソウもある。

 登り始めてから2時間でようやく九合目。汚れた水の入った井戸とササの中に、壁と床のない小屋。このあたりには暖気が澱んでいるのか、下のほうにくらべて非常に蒸し暑かった。

 その上は、晴れていれば展望のよい稜線歩きだが、この日はほとんどガスのなかで何も見えなかった。オトギリソウ、ウツボグサ、クガイソウなども見られるようになり、ハクサンチドリの咲きおわったのもひと株あった。

 登りつめたところからほんの少し下って最後の登り。ヤマオダマキはえび茶のと黄色のとがまじって咲いており、アキノキリンソウはまだつぼみ。ノアザミやヨツバヒヨドリ、ツルリンドウも咲いていた。

 貯水タンクのようなものが見えてくると、避難小屋や三角点のある六角牛山の頂上だった。晴れていれば三六○度の大展望だったはずだが、ガスをふくんだ冷たい風が吹いていて何も見えなかった。避難小屋のなかは整頓されていて、奥にほこらが祀ってあり、泊まることも十分可能だと思われた。

 周辺はちょっとした花園で、ウツボグサやクガイソウ、ヤマブキショウマなどが咲いており、コケモモの実がふたつ稔っていた。また、ほとんど崩壊しかかったブロック作りの小屋もあって、奥にはやはりほこらがあり、あくまでも信仰の山らしいたたずまいだった。

 ここで持ってきたパンや生八ツ橋や鉛温泉で出たくだものなどを食べて大休止。
 帰りは八合目から四合目にかけての下りで苦労したが3時すぎには登山口に戻れた。

 この日は遠野市立博物館と昔話村を見て民宿とおのに泊まり、翌日東和町の萬鉄五郎記念館を見て帰った。
 何ともせわしない旅行で、ちっとも休んだ気がしない。