街なか天然林
−逗子仙元山−

【年月日】

2025年1月27日
【同行者】 単独
【タイム】

風早橋バス停(8:31)−仙元山(9:09-9:53)−ソッカ(10:37)
−交差点前バス停(11:36)
金沢八景駅(12:42)−明治憲法草創の碑(12:46)−伊藤博文金沢別邸(13:02)
−野島山(13:15-13:37)−明治憲法起草地記念碑(14:41)−追浜駅(15:27)

【地形図】 本牧 戸塚 鎌倉 横須賀  ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小)

 商店や住宅が立ち並ぶ市街地だが、すぐ前に高まりが見える。
 ちょっと遠回りだが、コンクリ道を登っていくと、登山道に入る。

富士と江の島
ビャクシン

 10分くらいで早くも、仙元山。
 ほとんど歩いてないし、まだ朝の9時なのだが、ザックを軽くするため、お昼にする。

 相模湾側が伐られていて、西側がよく見える。
 江の島のやや左に富士があるのだが、下半分だけしか見えない。

 ピークのど真ん中に、大きな戦役記念碑が建っている。
 西南戦争から日清戦争にかけての、地域の戦没者を顕彰したもののようだった。

 戦役記念碑のすぐそばに、ビャクシンの大木。
 これは植栽だろうか。

 不二仙元大菩薩と彫られた供養塔らしきものもある。

スダジイ
ヤマザクラ

 登山道は、住宅地の至近を通っているので、生活音まで聞こえてくる。
 にもかかわらず、ここはほぼ、照葉樹原生林なのだった。

 照葉樹について無知なので、先日から、『照葉樹ハンドブック』と『樹皮ハンドブック』を携行して歩くようになり、両書を参照しながら歩くので、歩程がちっとも進まない。
 それでも、少しずつ、照葉樹がわかるようになってきた。

タイワンリス
ケヤキ

 イノシシに注意という札がたくさんあるのだが、イノシシはいなくてタイワンリスがすこぶる多い。
 いたるところで、ゴシゴシと叫びながら樹上を跳んでたり、カサコソと音を立てながら地上を歩いてたりする。

 照葉樹だけでなく、ヤマザクラやケヤキの大木も多い。
 コナラはさほど多くない。

タブノキ
アカガシ

 ソッカのピークで馬頭観音への道を分け、北へ下る。
 ここまで道幅広く、お散歩コースだったが、ここからは普通の登山道になる。

 上部より下部のほうに大木は多く、見ごたえのあるケヤキやアカガシがあった。
 稲荷のお宮のあるところには、アカガシやおそらくクスノキではないかと思われる老巨木があった。

シラカシ
シラカシ

 人家が近づくと孟宗林になるが、シラカシ・クスノキらしき大木がまだ見られた。
 ごくショートコースだったが、充実した山歩きだった。

 下山後、横浜へ明治憲法関係の史跡を見に行った。
 逗子から京浜急行に乗ればよかったのに、鉄道路線をよく知らないので逗子から横須賀に行き、少々歩いて京急に乗って金沢八景に向かうというロスをした。

 まずは金沢八景駅近くの、料亭東屋あと。
 伊藤博文・伊東巳代治・金子堅太郎・井上毅の四名が明治憲法起草の集団作業を行った場所である。
 伊藤らは昼間はここで憲法起草作業をおこない、夜にはおそらく酒食にふけって遊んだのだろう。

 近くに、金子堅太郎の揮毫により「憲法草創の處」と彫られた石碑があった。

 次に野島に渡り、伊藤博文の金沢別邸へ。
 ここは明治憲法とは直接の関係はなく、日清戦争後に建てられた伊藤の別荘である。
 金沢八景には、井上馨や松方正義の別荘もあったといい、工場や住宅がなかった当時は、じつに風光明媚なところだったのだろう。

 この日は改修工事中で、見学できなかったのは残念だった。

 その先、野島山の展望台からは、まわりがよく見えたので、小休止。
 雲の多い日だったので、富士は隠れてしまい、丹沢も今ひとつだった。

 野島から夏島は目の前だが、かなり歩かなければならなかった。
 もっとも近そうなところを行こうとしたら、日産工場があって通ることができず、体力を多大にロスした。

 一時間ほども歩いてようやく、夏島貝塚近く。

 明治憲法は夏島で起草されたとよく書かれているが、金沢八景の料亭東屋で作業が始まったが、泥棒が入ったりしたため、夏島にあった伊藤の別荘(金沢別邸とは別)に場所を移して憲法を書き上げたらしい。
 そんなわけで夏島にも、明治憲法起草記念碑が建てられている。
 この碑の建立の中心になったのも金子堅太郎で、碑文は伊東巳代治によるものだった。

 街歩きは、けっこう疲れた。