そこそこ遠いので、家を早めに出たのだが、途中休憩が長すぎて、歩き出しはちょっと遅くなった。
山神社からスギ林の中、尾根をめざす。
傾斜が出てくるところから、雑木林に変わる。
トラバースになってしばらくで、愛鷹山荘。
小屋前の水場らしきところは枯れていた。
引き続きトラバースしばしで、富士見峠。
北側に峠道は見あたらないから、ここは名ばかり峠なのかもしれない。
富士山も見えない。
まずは黒岳をめざして尾根を登る。
ひと登りすれば富士山の展望地で、そこから黒岳にかけて、大きな杉が数本、生えていた。
これらは天然杉であるという表示が立てられていた。
早雲の時代までは遡らないにしても、芽生えたのは戦国時代か江戸の初期だろう。
北側の山麓で、立て続けに銃声が聞こえる。
時期からしてハンターによるものかと思い、カウベルを出して、音を鳴らしながら行ったが、数十発撃っても音がやまない。
火薬や弾丸の無駄遣いだから、どんなにいい獲物がいたとしても、ハンターならそんなに撃ちまくったりはしない。
思うにその銃声は、東富士演習場での戦争練習によるものだったのだろう。
この近所の人は、毎日、間断ない銃声の中で暮らしているのだろうか。
北西尾根からの下山道は通行止めになっていた。
シデの多い整った雑木林をやや東に行ったところが、黒岳のピークだった。
富士山の見える北西側が伐開されていて、好展望。
樹林の切れ間から、丹沢方面と箱根の中央火口丘方面も望まれた。
金時山周辺は、樹林越しだった。
ベンチもあったので、ここで大休止。
雪もなく、晴れて暖かな低山なので、オプティマス・ベガは火力に特段の問題なし。
これなら、非常にきびしい風雪や雪洞内でもなければ、一年を通して使えそうだ。
来た道を戻り、富士見峠から越前岳に向かって登る。
ひどい急登ではないが、長い登りである。
南側の尾根がときおり切れ落ちていて、展望のよいところもあるが、ロープで登山者が入らないようになっていた。
上部の日陰には踏まれた雪が凍っていた。
こういうことがあるので、この時期の低山歩きには、軽アイゼンやストックをあったほうがよい。
越前岳に着いたときにはお昼を回っていたが、たくさんのハイカーが群れていた。
富士山が大きく見えるかと思いきや、それほどでもなかった。
南アルプスはほぼ全山が見えていたが、白峰三山は下半分を天子山塊に遮られていた。
南側には、沼津市街地の向こうに、駿河湾と伊豆半島が望まれた。
この景色も、自分にとっては、はなはだ珍しいものだった。
休む場所もないので、そのまま南へ急降下して、割石峠をめざす。
基本的にはやせ尾根続きだが、ときどき、南アルプスや駿河湾の展望が開ける。
呼子岳を越えれば、割石峠はすぐで、下山道に入る。
最初は道形もない、急なガレ場下り。
踏まれた雪もあるので、ここは慎重に行く。
次第に道がはっきりしてきて、水場の表示があるが、水はまったくなし。
ここは火山なので、これだけ旱天が続けば、水はすぐになくなってしまうのだろう。
周囲は、基本的にはさほど古くないブナ林なのだが、登山道の真ん中に、大杉。
単に「大杉」と書かれた表示が立っていた。
黒岳の大杉群より大きいのだが、近くには同じようなスギは見当たらなかった。
とは言え、位牌岳の斜面を見上げると、スギがそこここに点在しており、中にはかなり大きそうなのも見えていた。
最奥の堰堤から先は広い道になった。
大沢は水がまったく流れていない川で、河原のガレを自動車で走り回って遊んでいる人々がいた。
山の北側では戦争の練習をしており、山の南側では自動車で河原走行の練習しているのだが、あまり生産的ではないなと思った。
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