猿ヶ京から唐沢山、三国峠

【年月日】

1996年10月13日
【同行者】 単独
【タイム】

上越大橋(6:30)−(MTB)−テルメ国境 (6:55)−唐沢山
(9:53-9:56)−十字路(11:00- 11:10)−あずまや(11:50-12:18)
−トンネルへの分岐 (12:55)−上越大橋(13:20)

【地形図】 猿ヶ京、四万、三国峠

三国峠下の紅葉
大般若の石塔

 今日は、上越国境を群馬県側から歩く。
 三国トンネル手前の上越大橋のたもとの駐車場に自動車をとめ、したくをして、MTBを乗りだす。
 完全舗装の国道を下るだけだから、この上なくらくちん。

 猿ヶ京の公衆浴場「テルメ国境」の横の広い駐車場に自転車をロック。少し戻って、法師温泉長寿館の看板の前から山道へ。
 スギ林、雑木林、アカマツ林がかわるがわる出てくる。
 送電巡視路なので、広くて傾斜が少なく、とても歩きやすい。

 尾根の上に出るあたりになると右がカラマツ林になり、さっそくハナイグチがお出迎え。

 9号鉄塔からは、今日登る予定の唐沢山が美しく紅葉しているのが一望できる。
 雲一つない青空。
 足元には、センブリ、ワレモコウ、ナギナタコウジュの花が咲いていた。

 地形図にある道は存在しないので、そのまま巡視路を行く。
 次の十号鉄塔までは、センブリのプロムナード。

 鉄塔の下あたりは下地のよいカラマツ林。
 ハナイグチ、チャナメツムタケがちらほら出ていて楽しめた。
 ナラの小枝にムキタケも出ていた。

 時間があれば、もうちょっとゴソゴソしたいところだが、まだ歩き始めたばかりなので、ひと回りしただけで先を急いだ。

 そこから十一号鉄塔まではスギ林のトラバース。
 ここにはキノコはなし。

 その鉄塔下には、アカマツが数本あり、ヌメリイグチが顔を出していた。

 ここからは気持ちのよい雑木林。
 下草の少ない、秋の雑木林はとても快適だ。

 ときおり、クリタケが出ているので、摘んでいく。
 傾斜のほとんどない道だ。

 ほどなく伐採あとかと思われる、荒れたアカマツ林を通る。
 下地のよいところを見つけては、ザックをおろし、「奇跡」を探すが、見つからなかった。

 伐り残されたダケカンバの回りに、ベニテングタケが数本。
 キノコ写真を撮りはじめた今年初めて会うので、うれしい。
 そばの地上には、クリタケも数株出ていた。

 やがて、右手は美しいミズナラ林。
 ここには、巨木もいくつか見られたが、人工林かと思われるくらいに整った林だ。

 その先はカラマツ林、スギ林、雑木林が交互に出てくる。
 ホテイシメジ、ムラサキシメジ、ハナイグチ、チャナメツムタケ、キヌメリガサなどが、探せば探すほど見つかる、おもしろいところだった。
 ドクツルタケのみごとな群生もあった。

 やがて、快適な雑木林をジグザグに登るようになる。
 ここまで来てはじめて、ブナの若木を見た。

 唐沢山への道はないが、赤テープがかけてあり、かすかな踏みあともある。
 これを五分ほどで三角点だった。
 灌木がおおっているため、展望は、吾妻耶山が見えるくらいだし、ゆっくり腰をおろすほどのスペースもないので、早々に登山道に戻る。

 道の真ん中にツエタケがつっ立っていた。
 今年は、初夏から秋まで、ブナ林でずいぶんツエタケを見た。
 柄が固いのが難点だが、カサはなかなかおいしいキノコだ。

 あくまで山腹を水平につけられた道を行く。
 この途中でもハナイグチを拾いながら歩いたので、片手に下げたビニール袋がずっしりしてきた。
 左が伐採されたところで、法師温泉上部の紅葉を愛でていると、咲き残りのフシグロセンノウのあざやかな朱色。
 雑木林の秋のヒロインだ。

 ようやくブナの巨木が目にはいるようになると、道はいきなり十メートルほど急降下。

 国旧街道の小広い十字路だった。
 直進すると法師温泉。左は永井宿。
 右に行くと三国峠。
 石造物を観賞がてら、小休止。

 十字路の上には、「大般若」と彫られた大きな石塔。
 これは、三国峠の風雪で遭難した人々の霊が悪さをしないように、三国権現の神職田村越後が大般若経の文字と死者の名を小石に記して、塚となした位置を示すものだという。

 十字路の下には、戊辰戦争の際、官軍側の人足だった吉田善吉の墓がある。
 ベンチ前にあった説明板によると、三国峠一帯では、慶応四年に官軍と会津軍との戦闘が行われたらしい。

 越後側が会津藩領だったため、会津軍は三国峠に布陣。
 官軍は、高崎藩は、永井宿から裏山伝いに大般若、吉井・佐野藩は、法師から大般若に向かい、本隊が三国街道を進撃するという作戦。

 砲撃戦の結果は、兵力において圧倒的に優勢な官軍側が勝利したとのことだ。

 高崎藩も、吉井藩も親藩。
 佐野は譜代。
 それが早々に敵に回ったのでは、幕府もかなわない。

 善吉はそのとき、吉井から官軍に徴用されて、不運にも落命した人だ。
 それでも、勝てば官軍。
 りっぱな墓を建ててもらった善吉は、あの世で感謝しているだろうか、それとも迷惑だと思っているだろうか。

 ここからは、旧街道となり、軽トラックが通りそうなほどりっぱな道。
 両脇はブナ・ミズナラの原生林。
 このあいだ、会津で巨木を見すぎて、目がおごっていはしまいかと心配したが、取り越し苦労だった。

 その先、カラマツの植えられたちょっとした広場は、田村越後の営んでいた三坂の茶屋あと。
 峠越えの人々の休み場であり、積雪時の避難場所でもあったとのことだ。

 やがて山中にふさわしくない、りっぱな墓地。
 三坂の墓地という説明板があり、田村越後一族の墓所だと書いてあった。

 その先で小沢を渡る。
 渡ったところにりっぱなあずまやがあり、トイレまで完備されている。
 ここはまた、国道へのエスケープルートの分岐でもある。
 ちょうどお昼になったので、ここで大休止にした。

 ヌメリイグチ、ハナイグチ、ツエタケ、ムキタケ、クリタケ、チャナメツムタケを煮こんで、うどんを入れる。
 各種キノコのうまみが出て、野生の香りがする。
 今日は一人の山行きだが、こういう日には、幸を分け合う人がいた方が、楽しい。

 その先すぐに、江戸時代に起きた雪崩遭難者の墓地。
 墓石が七基、並んでいる。

 墓地のあるところは雪崩が起きそうにないところだったが、そろそろ三国山の急斜面が目の前だ。
 遭難者はあのあたりでやられたのだろうと想像する。

 道ばたには、この古道の歴史を見つめてきた馬頭尊がたたずむ。

 道は下り案配となり、三国山周辺の錦秋が目にはいる。
 こういう秋の味わえる日本に生まれてよかった。

 小沢を二本渡ると、すぐに三国トンネルへの分岐。
 紅葉をながめながら、上越大橋に下り着いた。