展望は今ひとつ
−鷹谷砦−

【年月日】

2025年12月4日
【同行者】 単独
【タイム】

皆本集会所(10:30)−鷹谷砦(11:51-12:36)−皆本集会所(13:21)

【地形図】 長又 ルート地図

 自宅から出発。

皆本集会所付近から毘沙門山
鷹谷砦から人家

 皆本集会所から登る。

 下部はやや踏みあとが乱れるが、尾根上の道ははっきりしていた。  モミの木が大変多い。

 しばらく登ると、斜度が緩む。

 空堀が三つ。
 下から三番目の堀がもっともしっかりしていた。

 山頂には祠と石碑。
 碑文は読みにくかったが、北条氏による砦だということが記してあった。

 樹林のため展望は今ひとつだが、木を伐れば谷が一望できるだろう。
 眼前に毘沙門山の大岸壁がいい感じだ。

 現代人の多くは、「城」といえば江戸時代に作られた天守閣をイメージしてしまうため、戦争時に城が実際に機能した戦国時代にも、あのような城郭があったと勘違いしている。
 しかし戦国の城郭は、武将が日常生活を送る場所ではなく、戦時(とくに包囲戦で守勢に立った時)に立てこもる、非日常的な場所だった。
 だからそこにあった建物はもちろん、豪華なものではなく、武器や食糧を蓄えるとともに、いざというときには女性や老人や子ども(彼らは一括して「足弱(あしよわ)」総称された)をも収容するのが、基本的な目的だった。

 武田の軍勢が、西上州・山中谷(現在の上野村)から鉢形領・秩父へ侵入する際の通り道にあたっているため、ここは格好の見張り場だった。
 やや北方の日尾城には、山県昌景(武田四天王・のちに長篠で戦死)に攻められたが撃退したという口碑が残る。
 現在の小鹿野町西部は、対武田防衛戦の最前線だった。

 帰りは来た道を戻った。