- 今熊神社とその周辺 - |
【年月日】 | 2024年5月2日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
武蔵五日市駅(10:04)−東町観音堂(10:10)−阿伎留神社(10:24-10:30) |
【地形図】 | 五日市 拝島 ルート地図(マウスホイールで縮小・拡大可) |
武蔵五日市駅からスタート。
駅からすぐに東町観音堂。
ここは五日市観能学校あと。
ここで教えていたのが、千葉卓三郎だった。
千葉卓三郎は嘉永五(1852)年、仙台藩士の上に生まれ、戊辰戦争にも出た。
ほぼ同じころ、五日市学芸講談会を作って、同年代の若い人々と社会・政治についての学習会を始めた。このころまだ30歳にならない。
1883年に結核のため没。
お金もない。
第45条 日本国民は各自の自由権利を達すべし。他より妨害すべからず。かつ、国法これを保護すべし。
人は各自自由であり、権利の主体である。それを何ものも妨害してはならない。かつ法律はそれら(の権利及び自由)を保護しなければならない。
檜原街道を少し行って秋川方向に降りていくと、阿伎留神社。
お参りののち、さらに下って秋川を渡り、少しで石造物が並ぶところ。
その先が広徳寺で、今熊神社登山口になる。
総門は大きくないが、茅葺屋根の山門はちょっと言葉がないほど、豪華だった。
このお寺を維持するのは、容易ではないだろう。
総門の前から後ろの丘への道に入る。
下りはスギ林で暗い感じ。
最下段は1.5メートルほどで、遠くから見るとここしか見えないので、小さな滝なのかと思うが、さにあらず。
登山道に戻ると、今熊山への登りにかかる。
穏やかな遊歩道コースになるのだが、推奨されていない直登コースもあった。
一般コースと再び合流するとやや穏やかになって、そのまま山頂へ。
一角におかれたベンチで大休止。
下山は上川方面へ。
ほどなく登山口の稲荷神社。
五日市へ戻るルートを考えずに来たのだが、上川町から変電所の横に入ってみた。
336メートルピークから北へ急降下するとまもなく穏やかになって、小峰公園の一角。
市街地を五日市方面へ歩いていくと、そこそこ疲れたので駅近くのベンチで小休止。
五日市郷土館では、五日市の古代から近代までの生活が概観できる展示がされていた。
市倉家住宅は、ときどき見られる豪邸なのかと思ったらそうではなく、江戸末期から明治ころにかけての、おそらくごく平均的な民家を移築したものだった。
五日市憲法草案碑は五日市中学校の校庭にあるのだが、ちょっと傷みが激しいのが気になった。
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