笹尾根の続き尾根を底沢峠まで歩いたのだが、その続きがまだなので、好天予報の平日に底沢峠から高尾山まで歩いてきた。
一番の西武線に乗ると、高尾駅のバスまで乗り継ぎがよく、七時半には陣馬高原下のバス停に着くことができる。
バス停から底沢峠へは、沢沿いの車道を行くのだが、陽が射さないのでけっこう寒かった。
一年前にここを降りてきたのだが、記憶はどうもはっきりしない。
明王峠・底沢峠への道標をみて、登山道に入る。
スギ林の中にさっそく、ミミガタテンナンショウが咲いていた。
すぐに小尾根に登るが、足元にはナカバノスミレサイシンがたくさん咲いていた。
ここから写真を撮っていったが、前日の雨で傷んでいるのが多かった。
植林地が多いので、草花は少なかったが、芽吹き始めた雑木林を通ると、心が洗われるようだった。
ヒガラ・ヤマガラがにぎやかにさえずっていた。
底沢峠からは、ほとんど平坦な道を行く。
両側は相変わらず、植林と雑木林だ。
堂所山の巻き道には入らず、ピークに向かう。
空気がまだ澄んでいたので、富士山の展望が得られるかもしれないと思ったからだが、堂所山からは、奥多摩北部がよく見えた。
縦走路に戻ると、相変わらず、平坦な道が続く。
展望が期待できないならピークをトレースすることもないので、ここからはなるべく巻き道を通るように歩いた。
タマキクラゲ
| 芽吹きを待つ雑木林
|
白沢峠という地点があったが、峠道は存在しなかった。
タチツボスミレがちらほら咲いていたが、草花はまだ芽吹いたばかりなのか、ほとんど咲いていなかった。
たいした登りもなく、景信山に着く。
驚いたことに、山頂には茶店がいくつもあって、平坦なスペースはすべて、休憩用のベンチで埋め尽くされていた。
ここは茶店の私有地なのかもしれない。
西側の一部が伐開されており、富士山が真っ白な全貌をあらわしており、大室山の大きさが印象的だった。
東側は全面的にカヤト化しており、東京の市街地が一望できた。
平日のため、茶店は営業しておらず、ハイカーもいなかったので、ここで大休止。
山頂の敷地には、おそらく植栽されたミツマタやヤブツバキがちょうど見ごろだった。
下り始めたところでは、マルバタチツボスミレやエイザンスミレがさかんに咲いていた。
またも平坦な道を行くと、小仏峠。
大きな碑と、小さな石仏があり、またも茶店があった。
どこから来たものか、ハイカーではなさそうな家族連れもたくさんいて、この山域はどういうことになってるのかと思わされた。
ここからも、なるべく巻き道を通るようにすると、ほとんど登ることなく歩いていけるのだった。
城山のピークらしきところには駐車場があって、人がうようよしていたので、そのまま高尾山方面に向かった。
高尾山へはますます平坦で、幅広い道になり、通行人が激増した。
一丁平も展望のよさそうなところだったが、遠景はすっかり霞んでしまっていた。
ここには、高尾山一帯は、明治百年を記念して国定公園に指定されたという看板が立っていた。
里山の景観や植生を維持するのは大切なことであるが、それと明治維新とは、何の関係もない。
ここにはヤマザクラの並木や植林地も多いので、典型的な里山という雰囲気でもない。
明治百年という単語を久々に目にしたのだが、その論理的無神経さは、不愉快だった。
人混み状態の尾根を高尾山方面へ進むと、人間密度が次第に増してくる。
足元に、オカスミレ・キジムシロ・ミヤマカタバミ・センボンヤリなどが出てくる。
高尾山の山頂から薬王院にかけては、都心並みの混雑で、たくさんの老若男女が行き交い、茶店や土産物屋に群がっていた。
薬王院は飯縄権現を祀った修験寺院らしい。
たくさんの仏堂も由緒のあるものらしかったが、人の多さに閉口して、あまりゆっくり見る余裕がなかった。
山門にかけての巨大な杉並木は、非常に立派なものだった。
道路のわきにも、ユリワサビやニリンソウが咲いていた。
午後を回っているのに、観光客は続々と登ってきていた。
おかげで、高尾山口駅までの道を、ちっとも間違えずに歩くことができた。
|