富士山と丹沢の展望
−生藤山から陣馬山−

【年月日】

2010年3月30日
【同行者】 単独
【タイム】

石楯尾神社(8:48)−佐野川峠(9:42)−甘草水(10:05)−三国山(10:26)
−生藤山(10:31)−茅ノ丸(10:45)−連行峰(11:02)−和田分岐(11:24)
−醍醐丸(11:50)−醍醐峠(11:58)−和田峠(12:23-12:33)−陣馬山(12:46)
−奈良子峠(13:18)−明王峠(13:25)−底沢峠(13:30)
−キャンプ場(13:54)−陣馬高原下バス停(14:05)

【地形図】 上野原、与瀬、五日市 ルート地図

石楯尾神社
佐野川峠の馬頭尊

 上野原駅で降りたのは初めてだったが、駅前のバスターミナルがおそろしく狭いのに、運転手が上手に切り返すのに感心した。
 バスが出るときには一度に出なければならないので、3台ほどが同時に出発するのも、面白い。

 乗った客のほとんどが石楯尾神社で降りるハイカーだった。

 石楯尾神社の石段を登ると、ちょっと見ると山門と見間違えそうな幣殿。
 これをくぐると大杉に挟まれるように本殿がある。
 神社裏には、紀元2600年に建てられた「八紘一宇」の石碑がある。

 道標に従って畑の中の道路を登っていくと、沢沿いになり、植林地の中に生藤山への道標が見つかった。
 ここから先しばらくの部分は、地形図とはかなり違っているようで、林道に出た先から、佐野川峠へのジグザグ道が始まる。
 佐野川峠は、古い生活道らしく、峠直下に安永年間の馬頭尊があり、峠の上にも風化した石仏があった。

霜柱の道
東岳と赤石岳

 ここからは尾根道。
 足元には霜柱が立ち、道には斑雪が残っていた。
 登山道の周囲は植林だが、道ばたにはずっと桜が植えられていた。

 甘草水の分岐で展望が開ける。
 富士山・権現山・扇山などがよく見え、扇山と権現山の間からは、南アルプス荒川東岳・赤石岳がのぞいていた。
 甘草水はたいへんよい水場で、おいしい水がこんこんと湧いていた。

 ここからひと登りで三国山。
 結果的には、三国山からの展望がこのコースで一番よかった。
 雪どけでぬかる道を少しで生藤山、さらにすこしで茅ノ丸。

三国山からの富士山(大きな写真)
残雪の雑木林

 このあたりからは、丹沢方面がよく見える。
 丹沢では大室山、蛭ヶ岳、丹沢山が抜きん出ており、大山は孤高を保っている感じ。

 連行峰を過ぎると尾根まで植林に覆われて、見晴らしが今一つになる。
 北側に大岳山や御前山、奥多摩北部の山が見えるが完全に開けてくれないので、遠くの山は見分けることができなかった。

 大ゾウリ山・醍醐丸は展望もないので、そのまま通過。
 展望や石造物は期待できないので、巻き道を行ってもよかった。
 植林地の中、ちょっと飽きてくる道を下っていくと、自動車の通る和田峠に着いた。

 ここまでずっと休まずに来たので、ここで小休止。
 峠から八王子側にはゲートがかかっていたが、相模原側からは自動車が入っていた。

 陣馬山の山名は「陣場」と表記されてるものもあり、一定していない。
 これをどちらかにまとめるのはもはや無理だろう。

 山頂は広く芝生に覆われており、茶店らしき建物も何棟か建てられているが、すべて戸閉になっていた。
 快晴であれば、ここの展望は最高なのだろうが、午後になっていくらか春霞が出てき、朝ほど鮮やかな展望を得ることはできなかった。

丹沢山から蛭ヶ岳の稜線
ヤマザクラの大木

 「関東ふれあいの道」らしく、整備しすぎの道を下っていくと、奈良子峠。
 ここは十字路になっていて、陣馬高原下への道が下っている。

 さらに明王峠へはすぐだった。
 ここにも人の気配のない茶店があった。

 底沢峠には、大正11年に地元青年団に建てられた石の道標がある。
 四角柱のそれは珍しいものでないが、建設年月日を標した上に「平和記念」と彫られている。
 時代背景で言えば、シベリア干渉戦争が日本の敗北に終わった年のことである。

平和記念道標
バス停近くで見た石像(大きな写真)

 敗戦を記念して建てられたのだとすれば、建設の経緯が気になるところだ。

 陣馬高原下へは、急傾斜の尾根をどんどん下る。
 下りついたところに新しそうな不動堂。
 今回山行の無事に感謝して、ここで拝礼。

 車道を行くとすぐに陣馬高原キャンプ場のバンガローが見えてくる。
 ここにも人の気配はなし。

 バス停まではすぐだった。