和名倉山に行くのは18年ぶりだった。
当時は、毎週のように沢に入っていたので、沢から行くのが早くて安全と思って、曲沢から往復した。
そのころの奥秩父では、あちこちでスズタケのヤブが濃く、通行困難な道が多かった。
しかし近年、原因はわからないのだが、奥秩父の全域でスズタケが枯れ始め、かつての密ヤブもずいぶん歩きやすくなった。
かつて、二瀬尾根は通行可能だが、きびしいヤブこぎを強いられるという噂だった。
当時、ヒルメシ尾根を通ったという話はほとんど聞かなかったから、曲沢出合より手前はすでに廃道化したのかと思っていた。
近年、高校生の集団登山でヒルメシ尾根や二瀬尾根が使われるようになったという情報を得たので、荷物を軽くしていけば日帰り可能と踏んで、日の長い季節に出かけることにした。
伐採時の遺物1
| フタリシズカ
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川又バス停近くに軽トラックをとめたのは5時半頃だったが、曇り空だったので、あまり明るくなかった。
身支度をして、バス停前から、荒川にかかる橋に向かって下っていく。
吊り橋は渡れる状態ではあったが、かなり朽ちており、体重のある人が下手に歩くと、踏み抜きそうな感じだった。
歩き始めて10分ほどで、深山を歩いているような雰囲気になった。
今までほとんど意識したことのなかった和名沢は、台風通過後の増水でいい流れだったが、堰堤が連続するので、イワナの生息はないと思われる。
沢床から高みをしばし沢沿いに行くのだが、そこそこ急傾斜である。
踏みあとはやや薄いが、ピンクテープが多く、迷うところはない。
標高750メートルほどのところから急な斜面にとりつく。
スギ・ヒノキの植林がほとんどで、伐採時の遺物がまだ散見される中、二次林も貧相な斜面をどんどん登っていく。
約400メートル登って1173標高点わきの鞍部でしばし休んだ。
登山口の標高が約650メートルほどだから、山頂までの標高差はほぼ1400メートルある。この山は、長丁場を覚悟しなければならない。
尾根を少し行くが、今度は久度ノ沢側をトラバース気味に行き、ふたたび急登になる。
ここの途中に、ちょっとした広場があって、東京大学の設置したらしき動物センサーがいくつもつけられてあった。
このセンサーは、通行人も数えるのだろうか。
標高1600メートルを越えると、傾斜が緩んで、多少らくになる。
ブナの若木がいくらか見られるが、このあたりの広葉樹林は徹底的に伐られたようで、斜面にも大した木が残っていなかった。
ブナは少ない
| ツガノマンネンタケ
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再び尾根に乗ると、登山道ははっきりしてくる。
尾根道はやはり、崩れにくいのだろう。
ツガサルノコシカケやツガノマンネンタケなど、硬いきのこが出ていたが、ブナが少ないのでヒラタケは全く見なかった。
ナメアシタケの仲間は苔の中からよく出ていた。
ツガサルノコシカケ
| 伐採時の遺物2
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曲沢の源頭にさしかかったあたりで再び西側のトラバースに入る。
ダケカンバが目立つちょっとした広場で2度目の小休止。
どういうわけか、ヌカカが蝟集してきて不愉快だった。
ここは作業小屋のあとらしく、水場もすぐ近くにあって、大鋸や一升瓶の破片が散乱していた。
その先は水平なトラバース道だが、おおむね暗い樹林帯を行く。
小沢をいくつか渡るが、水の流れる音はするが、水流の見えないところが何ヶ所かあった、
曲沢手前の流れで、炊事用の水を補給した。
曲沢はこのルートではもっとも水量が多い。
この先は一度通ったことのある道なので、ルートに関する心配はほぼなくなった。
山頂に向かう前に、川又分岐から、八百平(はっぴゃくだいら)を見に行ってみた。
八百平は、分岐南の鞍部から小ピークを越えた次の広い鞍部をさすと思われる。
整地すれば、幕営可能な感じだが、水場はない。
今は荒地だが、大きな切り株が、かつての幽玄な森を偲ばせた。
戻って、山頂方面へ登っていく。
山頂下の水場も見つけてみたかったが、踏みあとが見つからなかったので、山頂へ直行した。
このあたりはカラマツ林で、深山という雰囲気ではないが、やはり立派な切り株が多く、苔の間から可愛らしいヒナノヒガサがたくさん出ていた。
キクラゲの出た倒木があったが、これはコメツガでなくダケカンバかカラマツだろう。
千代蔵ノ休場では水もたくさん出ていたが、渇水期にここは枯れるだろう。
足元には、ズダヤクシュやマイヅルソウが細々と咲いていた。
苔の中には、ミヤマカタバミやバイカオウレンの葉が散見されたが、花はとっくに終わっていた。
コメツガの密林をしばしで三角点。
以前どんな感じだったか忘れてしまっていたが、山頂標識が新しくなった以外に、ほとんど変わっていないと思う。
ここでラーメンタイム。
マイヅルソウ
| ズダヤクシュ
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元気の出たところで二瀬分岐まで戻り、二瀬尾根の下り口を探す。
探し方が不十分だったのか、不覚にも道を失い、苔むした平坦なところを北に向かうと、すぐ登山道に出た。
この日のコースで唯一面白かったのはこのあたりで、コメツガの二次林が苔の中で立派に生育し、大伐採から立ち直りつつあることがわかった。
至るところに大きな切り株があったが、すべて苔におおわれて、伐採以来の過ぎ去りし年月を感じさせていた。
北のタルから笹ッパの尾根を巻き下ると、索道施設があったと思われる広場。
ここで少し休んで、尾根上の枯れた笹ヤブを抜けてどんどん下る。
尾根が広くなったところで和名倉沢側への急降下が始まる。
そう思ってみるからなおさら、ちょっと荒れた雰囲気は、和名倉沢の杣道を彷彿とさせるものがある。
下りついたところは小沢の源頭で、大きなカツラの木があり、すぐそばの台地上には、造林小屋あとがある。
建物は崩壊し、一升瓶の破片や森林軌道の車輪、索道の滑車などが累々としていて、整地すれば幕営できそうだが、あまり気持ちのよいところではない。
ここから長い軌道歩きとなる。
線路はほとんどなくなっているが、荒れはさほどひどくなく、特に問題なく歩行できる。
登尾沢の頭という道標のあるところが軌道の終点(始点)で、各種記録に反射板あとと記されている場所だ。
ここまで来ると、はるかに下界を望むことができるが、三峯神社もまだ、ここからはるかに低い。
二瀬から登ってきたが途中で迷ったというハイカーと少し立ち話したあとは、標高差800メートルの残酷な下りとなる。
樹林にも、景観にも見るべきものはなく、淡々と下っていく。
このあたり、最下部のスギ林には、相変わらず熊ハギが多い。
たぶん東大演習林だが、生育のよいスギだけに、かなりの損害なのではないだろうか。
湖面が近くなったところで、ようやく、山道との分岐。
ここには立木にハシゴが立てかけられているだけで、何の道標もない。
埼大寮わきの吊り橋は、この下で何度もワカサギを釣ったところだが、渡るのは始めてだ。
車道に出てから秩父湖のバス停に行ってみたが、川又行きのバスは、あいにく出たばかりで、次のバスまで2時間近くも待つようだったので、湖岸道路を歩くことにした。
川又まで1時間半はかからなかったが、さすがにかなり疲れてしまった。
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