ほぼ杉林の山
- 飯山 -

【年月日】

2025年4月29日
【同行者】 単独
【タイム】

駐車地(11:37)−万場高校入口(11:51)−飯山(13:12-13:55)
−駐車地(15:05)

【地形図】 万場 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可)

 駐車できそうなスペースがあったのだが、うっかり通り過ぎてしまったので、橋を渡った先まで行ってクルマをとめた。
 しばし車道歩き。

ケヤキ巨木
お宮から父不見を望む

 万場高校前から斜面にとりつく。
 万場高校も、小鹿野高校と同様に生徒募集に苦しんでいると思われるが、上野村あたりの子どもたちは万場高校に通うのにも、自動車で一時間以上かかるだろう。
 ここも山中谷の生命線のひとつだ。

 人家の間を抜けて、簡易水道メンテのための道を行き、途中で尾根に上がる。
 しばらくで岩場となるが、廃道があって、岩場を巻くことができる。

 岩場の上には木と石の祠。
 シメがないから、もうお祀りはされていなそうだ。
 岩の上から父不見山が見える。

 けっこう急登。
 ずっとスギ林で祠のところ以外に展望なし。

 傾斜が少し緩んだところに、潰れた小屋掛けがあり、足踏脱穀機が放置されていた。
 樹間から山畑あとらしきものが見えたので、このあたりに出作りの畑があったのだろう。

ガーコン
小屋掛け

 その先また急登。
 傾斜が緩んで曲輪状の平坦地を見ると、さらに急登。

 山頂まで登ってようやく、明るい雑木林になった。
 ここで大休止。

石積み
丸岩

 帰りに、山畑あとに寄ってみた。
 作業用の道の痕跡があり、ていねいな石積みはほぼ残っていた。
 小屋掛けもあったが、周囲にゴミが散乱していた。

 古い地図をみても近くに人家などないから、どうみても出づくりの畑なのだが、傾斜地だし、農作業の条件はよくない。
 これだけの畑を作るのにかかった労力を考えれば、とても合わないと思われた。

 下山後、秩父事件当時に川中の戦いが行われた、丸岩を見に行った。