伝・畠山重忠の墓
- 士峰山 -

【年月日】

2024年1月3日
【同行者】 単独
【タイム】

駐車地(12:23)−高福寺(13:10)−士峰山(13:23)−大休止(13:40-14:05)
−古寺山(14:17)−駐車地(14:54)

【地形図】 安戸 武蔵小川 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小)

 腰越城址近くの士峰山へ。

 道路の広くなったところに自動車をとめて、上古寺方面へ歩く。
 「古寺鍾乳洞入口」などという古い石票があったりするのだが、鍾乳洞がどこなのか、わからなかった。

 庚申塔や二十二夜供養塔など、江戸時代の信仰遺跡が多い。
 二十二夜塔の上に如意輪観音坐像が乗った面白いものもあった。

如意輪観音
高福寺

 しばし歩いて、高福寺入口の看板。
 指示する方へ登っていくが、高福寺への車道はないらしく、歩道で境内に至る。

 縁起を記した石碑によると、高福寺はかつて慈光寺の経堂だったが、1498年11月、上田能登守朝実が一万人余で乱入したときに焼失した。
 その後1726(亨保11)年に再建されたが、老朽化したため、近年新改築されたと記されている。

 慈光寺の焼き討ちは太田道灌らによるとされているが、上田能登守朝実がどのような人なのか、今ひとつわからない。
 上田朝直の一族か。

五輪塔
石標

 お堂の裏手にかすかな踏みあとがあり、登っていくとすぐに士峰山。
 立派な覆屋の中に古そうな五輪塔が安置されている。

 重忠の墓は川本町の畠山にもあるが、彼は今の横浜で死んでいるから、遺体を北武蔵まで運んできたとは考えにくい。
 ここの五輪塔は確かに古く、戦国時代かそれ以前のものと思われ、室町末期か戦国時代の地元国衆の墓なのではないかと思われる。

 休むところもないので、もう少し北へ歩いて、荒れた伐採地で大休止。
 その後さらに北へ登下降して、古寺山。踏みあとはほぼないに等しいが、歩きにくくはない。

 古寺山からも似たような踏みあとを行き、一度ミスったが、うまい具合に駐車地の近くへ降りることができた。