比企の低山
- 小川町から武蔵嵐山 -

【年月日】

2019年12月24日
【同行者】 単独
【タイム】

小川町駅(11:30)−仙元山(12:24)−割谷城址(12:43-12:48)−物見山(13:36)
−小倉城址(14:15)−大平山(15:05)−大蔵館跡(15:58)−武蔵嵐山駅(16:42)

【地形図】 安戸 武蔵小川 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小)

 市街地を通って仙元山に向かう。  地形図通りのところに庚申大神と彫られた大きな石碑があって、石段が続いていた。
 ここを登って行くと、青山天満宮。
 社殿は今ひとつありがたみを感じさせないものだったが、大きなヒサカキが目を引いた。

天満宮登り口(大きな写真)
青山天満宮のヒサカキ(大きな写真)

 よく整備されたゆるやかな登山道を行くと、百庚申の分岐。
 百庚申とは、百基の庚申塔である。

 庚申塔は珍しくないが、江戸時代の一時期に百もの庚申塔が競うように建てられた背景はなんだろう。
 これらが建てられたのは想像を絶する昔のことでもない。
 江戸時代の人びとは、どのような心情で石材を担ぎあげ、庚申の字を彫りこんだのだろうか。

 さらに行くと、割谷城址の分岐。
 地形図で見ると、小規模な砦かと思えるが、広い本曲輪と二つの曲輪・空堀を構えるなかなかの山城だった。

 ここで小休止。
 ガスカートリッジを忘れてきたので、ザックの中のあれこれは使えなかった。

百庚申(大きな写真)
榛名山・子持山(大きな写真)

 さらに行って特になにもない大日山、そして物見山だが、ここも植林の中なのでスルー。
 ここからは長い下りになる。

 途中に仙元大日神と彫られた石塔のある小ピーク。
 市街地が近くなって、鞍部のホトケハラから広い道で小倉城址。
 ここは広大な山城で、これだけの規模の城址は秩父には存在しない。

仙元大日石塔(大きな写真)
小倉城址(大きな写真)

 考古学的な調査は終わっているようだが、室町時代から戦国時代にかけての歴史の中の位置づけは明確でないようだ。

 城址を抜けると川沿いの道を少しで、嵐山渓谷。
 渓谷というほどでもないが、都幾川がここで激しく蛇行する。

 ずいぶん歩いたので大平山はパスしようかとも思ったが、登山道があったので、立ち寄ることにした。
 北風が強く寒いのだが、道沿いにヤマツツジがちらほら咲いていて、奇妙な感じがする。

 大平山のピークに見るべきものはなかったが、肩にあるあずまやからは、比企の平野と東京の高層ビルが見えた。

ヤマツツジ(大きな写真)
源義賢墓(大きな写真)

 ここを下ると完全に里に出る。
 道路をしばし歩いて、大蔵神社。
 源義賢の大蔵館がここだと比定されているところだ。
 鎌倉街道のすぐそばだが、幕府草創以前から関東平野を縦断するルートがあったのだろうか。

 近くには義賢の墓だといわれる古そうな五輪塔。
 学術的に書かれた解説板を読む限りでは、本物という印象を受けた。

 近くには史跡公園のような施設もあるが、政治家が誇らしげに建てた石造物ばかりで、学ぶべき何もない。
 いよいよ日が沈む時刻となったので、とりあえずこの日は、ここまでにして嵐山駅に向かった。