秩父鉄道 こんなことでいいのだろうか
| 路傍の板石塔婆
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今年に入って、軽い散歩ばかりだったので、多少山歩きらしい歩きをするために、秩父鉄道に乗って出かけた。
御花畑から野上までの8駅区間を乗るのだが、490円と、割高である。
だがしかし、行楽日和の連休で、宝登山の蝋梅も咲き始めているというのに、4両編成の電車に乗客は全部で15人くらい。
いくらワンマン運転とはいえ、とても採算がとれるとは思えない。
はたして、こんなことでいいのだろうか。
野上の駅で降りて、踏切を渡り、高砂橋を渡る。
その先、T字路の信号を渡ると、登山口の法善寺なのだが、この道路がセンターラインもない細い道だった頃に通勤で行き来していたことを思うと、感慨もある。
山道の入口には、金ヶ嶽山頂の春日神社に奉納されている奉納額についての説明がある。
それをみると、この一帯は中世武士団である丹党の一拠点だったことがうかがえるそうだ。
登山道は、山仕事の行き来に通っている道で、今まで30回以上通ったことがあるのだが、普段の仕事仲間がいないと、風景がずいぶん違って見える。
部分的には、道間違いをしたかと思えるほど、新鮮に見える道をしばらく歩き、いつもは直進する道標のところを左に登っていく。
モズの雌かと思える小鳥が遊ぶ中、スギ林・雑木林・荒れ地などを見ながら登って行くと、葉原峠への分岐。
その先すぐに、オオモミジの大木があって、春日神社の建つ金ヶ嶽だった。
展望は今ひとつ。
春日神社は、新建材で作られていて、どうにも気持ちが萎える感じだった。
春日神社前のオオモミジ
| 御嶽大神碑
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葉原峠の分岐に戻って葉原方面に少し行くと、御嶽大神と彫られた石塔。
さらにその先は、仕事で通っているヒノキ林の一角。
ここでは、山仕事しかしてないから、ここからの道がどうなっているのか、全然知らなかった。
しばらく行くと、植平と葉原の分岐。
植平に行くと、仕事場の山に至るのだが、この日は葉原方面へ入る。
ゆるく登って行くと車道が見えて、岩根山の分岐。
岩根山にはミツバツツジの群落があるらしいが、お金を払わないと見せてくれないらしい。
ともかく、厳寒期には、用がない。
505メートル峰には直登せず、北から巻いていく。
尾根に出たところは、寄居町と長瀞町の境界だが、この一帯はもともと、風布村というひとつの村だったところだ。
いつかここから釜伏峠方面にも行ってみたいが、みかんの季節をやや過ぎた時期なので、この日は北上して、小林山方面に向かう。
葉原峠で車道を渡り、しばらく行くと、533メートルの小林山を東から巻く道になる。
ピークの真東から東への尾根上の広い道に入るが、尾根から外れていきそうなので、道を捨てて尾根上を押し下った。
梅が咲いてた
| 鬼柚子とみかん
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標高差にして150メートルほど下ったところで登山道と再合流。
少し行ったところが、小林集落の上部に出る道と中央に出る道の分岐だった。
中央に出る道に入ると、集落までは少しだった。
小林は、風布一帯の小さな山懐に抱かれた暖かなところで、集落全体がみかん園になっている。平地はほとんどなく、集落全体が傾斜地だが、東〜南側が開けていて日当たりがよい。
みかん狩りの盛期は過ぎてしまっているので観光客の姿はまったく見当たらなかったが、畑には各種みかんが鈴なりだった。
これらのみかんは、どうするのだろう。
みかん畑には、ヒヨドリやメジロなど、野鳥がたくさん群れていた。
この真冬に、人の姿が見えなくて、新鮮な果物が実っているのだから、鳥たちにとっては、いいところなのだろう。
客が来ないのだから、みかんを並べて店番をするのも空しいことだろう。ここのみかんは、管理のいき届いた南国産とちがって、大きさもさまざまだし、見た目もさほど、よくはない。味は流行の激甘タイプとちがって、甘みも酸味も強く、昔のみかんの味である。
いわば正しいみかんなのだが、当世の流行とは合致していないかもしれない。とても残念なことだ。一軒だけ、みかんを並べて売っているお宅があったので、ひと袋買った。
破久礼の駅まで車道を歩いたが、以前と比べて新しい家ができていて、駅近くはややにぎやかになった感じがした。
以前、通勤に使っていた吊り橋あとをしみじみ眺めたのも初めてだった。
駅にも人影がなく、閑散としていた。
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