5時半過ぎの電車に乗り遅れたので、黒山出発が2時間近く遅れてしまった。
黒山は小さな温泉街だが、泊まるほどではない上、日帰り入浴料金が高いので、どんなお湯なのかまだ知らない。
紅葉シーズンも終わったので、観光客もおらず、これでは商売になるまいと思われる。
三滝も観光スポットだが、水量が少ないので、今ひとつ興趣に欠ける。
見晴台の分岐を右に見る。
たぶんこれは、昔歩いた四寸道だろう。
またいつか、歩いてみたい。
傘杉峠への道標に導かれて、橋を渡り、左への山道に入る。
分岐がいくつも出てくるが、最も踏まれた道を行けば間違いはない。
大平山へは役の行者と書かれた分岐を左に入り、しばらく小沢沿いに行って尾根に上がる。
さしたる登りもなく、ベンチのおかれたちょっとした広場に役の行者像があった。
3種類ほどの樹が合体した怪異な大木の前に行者像があり、手前に前鬼と後鬼像が控えている。
後鬼のわきには不動像、前鬼のわきにも別の石仏があって、役者はそろっている。
石像群の配置された壇の右には、何基かの石塔がある。
石像群の由来の書かれた石碑によるとこれらは、元治年間に建てられたものらしい。
奥武蔵一帯における、竹寺・子の権現・高山不動・大平山・慈光寺という修験寺院のネットワークが見えてきたような気がする。
大平山の山頂をいつの間にか巻いて過ぎると、南から黒山へ下る道が分岐する。
そのあたりまで来ると早くも、グリーンラインを爆走するバイクの音が聞こえてくる。
尾根を越えると車道に出てしまうので、しばらくは車道を行くしかない。
顔振峠にはハイカーがたくさんたむろしていて、茶店も賑わっていた。
雲がやや多く、富士山までは見えなかったが、武甲山、武川岳、有間山から御前山、大岳山あたりまでがよく見えていた。
この道路沿いには洋風茶店が2軒もあったが、営業的に成り立つのだろうか。
諏訪神社の入口から再びヒノキ林に入る。
水平なトラバース道なので歩きやすい。
昭和初年に建てられた丁目石が置かれていて、これが諏訪神社の参道だったことがわかる。
諏訪神社は尾根上にあるにもかかわらず、広い境内を持つ立派な神社だった。
本殿の裏にそびえるアカガシの大木が印象的だ。
大木の前にあった記念碑も東郷平八郎の題字で、すぐわきには、どこかの戦争で得られたものと思われる砲弾が祀られていた。
これらの砲弾は、海軍省あたりから配布されたものと思われるが、どのような歴史的な流れがあるのか、興味をそそられた。
諏訪神社
| ヤブコウジ輝く
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越上山への分岐まではすぐ。
このあたり、完全に整備された登山道なのに、目印ひもがうるさい。
山頂の手前一ヶ所から越生方面への展望が開けたが、いつの間にかずいぶん、曇ってしまった。
一本杉峠のT字路で車道を渡るとすぐに、桂木への分岐、さらに獅子ヶ滝への分岐を分ける。
登山道は、グリーンラインとつかず離れずの尾根につけられているので、自動車の音が近い。
鎌北湖への分岐・間野集落への分岐を分けると、車道から離れてエビガ坂。
ここはとりあえず、スカリ山へ向かってみたが、前衛ピークをスカリ山と勘違いしたため、三角点へは行かなかった。
エビガ坂に戻ってゆるく下ると、ユガテ。
ここにも多数のハイカーが憩っていた。
以前より、ミカンやユズの木が増えた感じがする。
ズベミカンと福ミカンを1袋ずつ買って、直進。
伐り残されたモミ大木
| クサイチゴの花
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ここからは虎秀に下りるのが通常のコースだが、今まで通ったことのない尾根コースが作られていたので、そちらに入った。
ずっと植林の中だが、尾根上を行くので、下り一方でなく、ときおり登りも出てくる。
明るい尾根には、ヤブコウジの実が美しい。
モミの大木が数本、伐り残されているのが目を引いた。
電車の音が聞こえてくると、眼下に東吾野の市街が見えてくる。
カエデなどが植えられたジグザグ道を下っていくと、クサイチゴの花が咲いていた。
この寒い中、これだけの花が見られただけでも、得をした気分だ。
フユイチゴが多い
| フィナーレは吾那神社
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フユイチゴの実も多く、丹念に摘めば少々のジャムができそうなくらいだ。
下り着いたところは吾那神社。
駅はそのまん前だった。
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