静かな尾根から子の権現
- イモリ山から子の権現 -

【年月日】

2009年12月8日
【同行者】 単独
【タイム】

西吾野駅(10:27)−本陣山(11:09)−イモリ山(11:36)
−柿ノ木峠(11:55)−子の権現(12:31)−小床峠(13:10)
−吉田山(13:28)−御岳神社(13:41)−吾野駅(14:26)

【地形図】 原市場 正丸峠 ルート地図

シイタケが出ていた(大きな写真)
コアジサイ黄葉

 腰がまだ痛いのだが、晴れた日に休みがとれるなど、めったにあることでないので、またも子の権現に出かけた。
 今回は、西吾野から森坂峠に登り、柿ノ木峠まで尾根を行って、前来た道に入り、子の権現から吉田山への尾根道を下ることにした。

 開発しかけて途中で沙汰やみになった感じの草地をしばらく歩いて、峠道に入る。
 もう10時を回ったというのに、足もとの草には、霜がびっしりとついていた。
 こんな所では住めないし、農業だってやれないだろう。

 峠道の入り口付近にはフユイチゴが多かったが、実がなるにはまだ早かった。
 ジグザグに登ってすぐに、森坂峠。
 直進すると下久通に行けそうだ。

 ここはとりあえず、右の本陣山へ登ってみる。
 ピークの名前からして、なにか石造物があるかと期待したのだが、残念ながら、ただの植林のピークだった。

 森坂峠から先の尾根道も、同様の植林地を行く。
 イモリ山が前方に見えてくるが、急登のため左から巻き登る。

 小床への分岐から雑木の尾根を登ったところが、イモリ山だった。
 ここは雑木林の中なので、展望はさほどでないが、明るくて気持ちがよい。

 送電鉄塔のある小ピークは明るいが、灌木が茂っているので、展望なし。
 ゆるく登下降していくと、柿ノ木峠に着いた。

 ここを直進する踏みあともあるのだが、ここは今日も立派な登山道を行く。
 子の権現までは、さほどかからずに着いた。

ロウバイ(大きな写真)
ホオジロ

 オフシーズンに入ったからか、山門前の茶店は戸閉めになっていたが、おおぜいのハイカーがたむろしていて、ここだけはにぎやかだった。
 あたたかい山上では、早くもロウバイが咲き始めていた。
 とりあえず、本堂でお参りをすませ、すぐに下山にかかった。

 小床への道に戻って少し下ると、吉田山への尾根が分岐する。
 この道にも、テープやヒモの目印がうるさいくらいについていて、迷いようがない。

 465メートル峰を越えると、墓地に出る。
 植林が育つ前は見晴らしのよいところだったのだろうが、今は昼なお暗い山中だ。

 小床峠には、手製の詳しい道標があってわかりやすい。
 吉田山へもひと登りだ。

 本日登った名のあるピークの最後なのだったが、吉田山も展望皆無。
 ただの植林のピークだった。

第一次世界大戦間連の石碑
ロシア軍野砲

 ゆっくり下っていくと、御岳神社の本殿の脇を通る。
 古い建物ではない上、「秩父御岳神社」という額は、東郷平八郎が書いたものの複製なのだった。
 東郷のこの字は、全く同じものがあちこちにあって、ありがたみが感じられない。

 ここからは、ひどい急傾斜の石段を368段下る。
 御岳神社の境内は、東郷公園になっており、東郷平八郎や日露戦争にまつわる品物がたくさん展示されている。
 軍国主義公園が存在しても悪いことはないと思うが、ほんらいの御岳信仰がどこに行ってしまったのか、さっぱり不明。

三笠の甲板
ニガクリタケ群生

 ロシア軍の野砲や砲弾や水雷や戦艦三笠の甲板の実物などが、境内に飾ってあり、戦争博物館としては、楽しめると思う。
 東郷平八郎の銅像はピカピカに磨きあげられているが、乃木希典の像はゴミがくっついているままだったりするのも、興味深かった。

 車道に出てからは、いつもの道を通って吾野駅へ。
 駅に着く少し前に到着した電車に、首尾よく乗ることができたので、その日の農作業がはかどった。