一日休みだったのだが、日曜日とあって渓流は釣り人が多そうなので、奥武蔵の小さな植林の山に出かけた。
原市場の学校のわきから妻沢集落に向かう道路を自動車で走り、「この先行き止まり」という看板のあるところの手前で駐車する。
自動車から自転車を出して、今来た道をもとに戻る。
下り坂なので、とてもらくちん。
登山口の木工所の前に自転車をデポし、墓地への石段を登る。
高気圧におおわれ、気温が急上昇していたので、十歩ほど歩いただけで汗がしみ出た。
二十歩ほど歩いた墓地ではやくも小休止。雨ガッパとフリースを脱いでザックにしまった。
山と渓谷社の『分県登山ガイド 埼玉県の山』に「墓地の背後の急なヤブ斜面をもがき登れ」と書いてあるため、ここにはすでに何人もの人がもがき登った踏みあとができている。
由緒あるその踏みあとを、私ももがき登った。
ヒノキの植林の中、かなり急な尾根を登っていくと、なんの展望もない周助山に着いた。
ツバキが少し咲き残っているくらいで見るものは何もない。
さらに同じようなヒノキ林を登降していくと、北からの踏みあとが合い、登戸の三角点、すなわち地形図上の周助山に着く。
ここも同じようなヒノキの山だ。
左右からの踏みあとを合わせると南側が伐採された新しい植林地に来る。
ここはこのコース初めてのビューポイントだ。
目の前に楢抜山。
この山に登ったことを思い出すと、足元に気をつけなくては、と気が引き締まる。
その向こうには棒ノ折山。
形を見てすぐにわかるのはソバツブ山。
これがわかると、イモヅル式に川苔山がわかってくる。
その先も変わりばえのしない植林地が続く。
左にかなり明瞭な踏みあとを合わせた先で、前方に白い物体を発見。
近づいてみると、洗濯機だった。
見上げるとガードレールやカーブミラーがあった。
うららかな春の日射しがあたりを包み、家電製品を不法投棄するには絶好の日よりと思えたので、しばらく上ばかり見ながら歩いた。
完全舗装の林道をわたり、さらに登っていくと、爆音が近づいてき、若者の乗ったオートバイが突っ走っていく。やれやれ。
501mピークは『埼玉県の山』が書かれたころとちがって、北面が伐採されたので、大高山、天覚山方面の見晴らしがよい。
この二つの山をしみじみとながめたのは初めてだ。
奥武蔵ではまあマイナーな部類だと思うが、なかなかどうして、いずれもりっぱな山だ。
グリーンライン尾根もよく見えるのだが、ここから見るとあまりめだったピークはない。
すぐ目の前の小さなとんがりは子の権現である。
伊豆ヶ岳は残念ながら、コミ岳が半分見えているだけだった。
尾根道は送電線巡視路と合体し、黄色いプラスチックの杭がでてくる。
ここは奥秩父47号方面に向かう。
47号鉄塔は小広い日だまりだが、展望はなかった。
でも暖かいので、ここで昼食。
奥武蔵では、鉄塔の建っているところには必ずタラノメが生えているので、あたりを物色したが、まだ一週間くらい早かったようで、芽はまだ固かった。
ウグイスがケキョケキョとさえずっている。
春だなあ。
すぐ下の竹寺の梵鐘の音が聞こえてくる。
いい鐘だが、あまりゴンゴン鳴らすと値打ちがなくなる。
そこからひと下りで仁田山峠。
さっきの林道に続く車道が通っている。
石の祠があり、ちゃんと鳥居まで建っている。
峠の真下に人家があり、常住はしていないようだが、庭などは手入れされていた。
その下には都会人のものか、ログハウスなんかもある。
赤沢集落へと下る破線路は未舗装の林道だった。
のんびり歩いていたら、どこかの飼い犬が「おまえは誰だ」と言いたげに、えらそうな顔をして近寄ってきたので、ブロック壁を飛び降りてショートカット。
犬は急なところを下れないのだ。
文化四年の銘のある馬頭尊と銘のわからない地蔵尊が並んでいるところを過ぎ、しばらく下ると手作りの小さな道標が二つと奥秩父50号に至るという杭のあるところに来る。
ここが天神峠の登り口だ。
ここからフユイチゴの多い沢沿いを行く。
途中で50号と49号の分岐があるが、ここは50号方面に入る。
この分岐点が天神峠直下で、古い石垣などの見えるジグザグを5分ばかりで、峠に着く。
この峠にも鳥居と木の小祠が二基あって、御幣の残骸が散らかっていた。
天神峠から妻沢側に少し下ったところに、小さな岩室に安置された馬頭尊。
一面六臂のとても威厳のある石仏だ。
この岩室はここにあった石をくりぬいて作られており、昔の人の信仰の篤さには頭が下がる。
峠道はすぐに林道になる。
荒れたところに好んで群生するミヤマキケマンが咲いている。
この花が多いということはあまりよいことではないのだが、よくよく見るとかわいい花だ。
人家が出てくるとすぐに自動車が見えた。