黄金の山
−楢抜山−

【年月日】

1996年2月15日
【同行者】 単独
【タイム】

河又(9:05)−尾須沢鍾乳洞(9:25)−楢抜山(10:20)
−上赤沢バス停(11:35)

【地形図】 原市場

 下山口近くの上赤沢バス停付近にMTBをデポし、自動車を河又名栗湖バス停近くにとめて尾須沢鍾乳洞への山道を登りはじめた。
 このところの陽気の余波が残っており、空気は生ぬるく、空もにごり色だ。

 小沢に沿った植林の道だが、ミソサザイのさえずりが聞こえた。
 ミソサザイは渓流の流れる音をBGMに聞く方が風情がある。
 とはいえ、春の訪れを感じさせられる鳴き声だった。

 ひと汗かくころ、前方に岩場が見えてき、尾須沢鍾乳洞に着いた。
 名栗村でいちばん古いという石地蔵の前のベンチで遅い朝食をとった。
 いくつかある洞穴はもぐり込もうと思えば入れる大きさだが、歩き始める直前までカーラジオで北海道の豊浜トンネル崩落事故関係のニュースを聞いていたので、とても入ってみようという気にはならなかった。

 岩場は5メートルほどの石灰岩で、とてもきれいな岩だが、よくみると多少ハングしたフェースにはびっしりとボルトが打ってあり、チョークがこびりついているのがわかった。
 岩場の上はしっかりした樹林帯なので、トップロープで石灰岩クライミングの練習をするには、いいところのようだった。

 しかし、ベンチのおかれたところから左の尾根へとりつこうとして数メートル歩いたところで、この岩場一帯がとんでもないことになっていることを知ってしまった。
 岩場近くの多少平坦なところはすべて便所と化しており、いたるところに黄金の山ができていたのだ。

 少しでも踏みあとをはずそうものなら取り返しのつかないことになるのはまちがいなかった。
 山道のわきに点々と続くティッシュペーパーを避けながら行くと、「ここがトイレ」という道標があってブルーシートで囲っただけの「トイレ」が設置されていた。

 なぜこんなことになってしまったのだろう?
 フリークライミングというのは体内の不要物をすべて排出しなければならないほどの極限を追求するものなのだろうか?
 それなら名栗湖のトイレを使えばいいではないか。

 鍾乳洞への道に沿った小沢には水道施設があったぞ。
 トラブルは必至だ。
 このコースを登るハイカーまでが疑いの目で見られるのはイヤだなあ。

 とにかく黄金地帯から脱出したかったので、どんどん左への踏みあとを行くと、伐採作業地あとの広場に出てしまった。
 ここは枯れススキのなかに若いタラノキがたくさん生えた荒れ地だが、名栗川に沿った集落の向こうに、巨大観音像や仏舎利塔状の建物などが見えるところだ。

 踏みあとはここで消えたので、緩傾斜の岩場を登って尾根にとりつき、コアジサイやクロモジのヤブを登っていくと、はっきりした踏みあとに出た。
 そこから楢抜山の肩まではひと登りだった。

 肩で仁田山峠からの踏みあとを合わせ、急降下。
 鞍部にもティッシュが点々とあり、クライマーがこのあたりまで進出していることがわかったので、まだまだ気を抜くことはできなかった。

 急登しばしで楢抜山の三角点着。植林と春がすみで展望は皆無だった。
 あたりを注意してザックをおろし、小休止。
 楢抜山からは先は相変わらず植林の尾根だが、地形が意外に複雑なので、今日は慎重に行こうと意を決して腰をあげた。

 下りはじめてすぐの分岐は黄色いテープのある右の急降下。
 すぐに石灰岩のごろごろした小ピークで、ゆるく登下降していく。
 このあたりで今度はシジュウカラの声を聞いた。

 505mピークには、右の町村界尾根上にも踏みあとがあるが、ここは左。
 この先は尾根がやせるので、まちがえようのない道が続いた。

 460m小ピークを過ぎ、348m水準点あたりで尾根が3つに分かれたので少し思案したが、コンパスを出して真東へ急降下する踏みあとを選ぶと、わけなく赤沢会館の庭に降り立つことができた。
 ルートミスしなかったことが収穫の小さな山行だった。
 帰宅後、念のため登山靴を洗ったのはいうまでもない。