遠望得られず
−更埴三峯山−

【年月日】

2026年5月26日
【同行者】 単独
【タイム】

大池キャンプ場(9:16)−風越山(10:01)−三峯山(10:39-11:17)
−大池キャンプ場(12:07)

【地形図】 麻績 坂城 ルート地図

 大池キャンプ場の駐車場にとまっているクルマは一台もなかった。

アゲハチョウ
コミスジ

 人の気配のない平日のキャンプ場を行く。
 道標に従って登山道に入るが、杉の植林地。

 尾根近くになってようやく自然林になる。
 キャンパー御用達のコースなのだろう、登山道はとてもよく整備されていた。

 尾根に上がると、風越山の分岐。
 分岐といっても、道標は特になし。

 風越山へは、道標だけでなく、道も展望もないが、名前がいいので登ってみた。
 山頂の山名板は立派だった。

 元の道に戻り、三峯山へ。
 登山道わきに、タガソデソウとフタリシズカ、名前のわからないスミレが咲いていたが、それ以外に思わしい花はなにも咲いてなかった。

ミヤマクマワラビ
県立歴史館

 山頂近くに別荘地があり、登山道に沿って舗装道路が走る。
 けっこう急登なところなのだが、クルマが登っていった。
 なんだかなぁ。

 山頂は、芝生とても立派な展望台があり、快晴ならば、なかなかの展望が得られたと思うが、この日は高曇りで、聖山と姨捨山以外にはほとんど見えなかった。
 下界の花が咲いていて、アゲハチョウが舞っていた。

 ここで大休止して、来た道を戻った。

 早く下山できたので、県立歴史館の特別展「長野県民の戦後再出発」と常設展を見た。

 学芸員さんの工夫がしのばれる展示で、興味深かった。

 満州移民のコーナーでは、各県ごとの移民数のグラフがあって、長野県が突出して多かった。
 それ以外には、高知県と山形県が多く、埼玉県はさほど多いわけではなかった。

 また、「人口に占める満州移民の割合」という色分け地図もあったのだが、近年行われた町村合併後の市町村ごとの統計になっていた。
 これはちょっといただけない。戦前の市町村ごとに行われた事業なのだから、現在の自治体ごとに表示するというやり方には、意味がないだろう。

 この図では、木祖村・清内路村・泰阜村・北相木村などが突出して多く、大日向村があった佐久穂町の移民の割合は、それらの村々ほど多くないように描かれてしまっていた。

 常設展で面白かったのは、江戸時代の巨大な信州絵図で、幕府が信濃を領した大名たちに作らせたというものである。
 この絵図の上信国境をよく見ると、現在の上野村と旧大日向村・北相木村の境界には十石峠以外に峠は描かれていない。
 ごく少数の猟師などが通った踏みあとが他にもあったかもしれないが、生活者や旅行者が通行できる街道としては、十石街道以外にはなかったのだということがわかる。

 また、武州との境は、三国山あたりに峠があるように描かれている。
 中津川に信濃沢という沢がある。
 中津川本流へ信濃沢が出合うところへ三国山から下り着く破線路が、現在の地形図にも描かれているから、これが武信を結ぶ街道だったのだろうか。

 生活道としては、十文字峠道(観音道)の方がしっかり歩かれていたはずなので、面白い絵図ではあるが、ちょっと信をおけない部分もある。