百観音めぐり
−金戸山−

【年月日】

2025年10月13日
【同行者】 単独
【タイム】

会諏訪神明社(10:43)−いのくぼ休憩所(10:59-11:33)−金戸山(12:22-12:25)
−国道(12:53)−会諏訪神明社場(13:34)

【地形図】 信濃池田 ルート地図

 諏訪神明社わきのから登る。
 人家に近い里山だが、熊スプレーを携帯。

馬頭観音か
ヤマブシタケ

 クヌギのどんぐりを拾いながら行くと、すぐに雑木林。
 最初の観音がおかれた広いところに、いのくぼ休憩所というあずま屋があったので、ここで早くも大休止。

カモシカ
供養塔

 破線路を見ると急なところを登っていくかと思いきや、登山道はゆっくりトラバースするので、のんびり登ることができる。
 猛烈な暑さから解放された山歩きは、久しぶりだ。

 初秋の風情で、これといったきのこは出ていなかったが、ミズナラの枯幹にヤマブシタケが出ていた。
 山頂直下のT字路あたりからが百観音で、随所に各種観音像が建っていた。
 破損したのも多かったが、石仏の表情は、信州らしい、素朴な顔つきのが多かった。

 山頂の一角が金戸城址だが、防御性がほとんどないので、避難所のような役割だったように思う。
 展望はなし。

開田記念碑
開田記念碑裏面

 T字路に戻り、東南への尾根を下る。
 こちらは尾根上をまっすぐ下るのでそこそこの傾斜となる。

 下山にかかったところで、ブオーッと言いながら、黒くて大きな動物が駆け下りてきた。
 人生終わったーと思って、スプレーに手をかけたが、幸い、ヤバい動物ではなかった。
 しばしニラメッコしたが、先方はやっぱり、怒っていた。

 かなり下ったところに、「奉納 西国坂東秩父 供養塔」と彫られた石柱。
 奉納者の個人名が書かれているが、あまたの石仏を一人で奉納したのだろうか。

 国道に出て駐車地に戻る途中に、平林昌樹先生頌徳碑と開田記念碑。
 開田記念碑は、増田甲子七氏の揮毫とあったのだが、裏面を見て驚いた。
 この碑は、忠魂碑を再利用したもので、忠魂碑という文字を削り落とし、その上に碑文が刻んであるのだった。

 ちょっとした休憩施設のわきに、秩父札所への登り口があったので、入ってみた。
 急斜面に作られたトラバース道のあちこちに、観音の石仏と御詠歌の一部らしき看板が立っていた。
 石仏の多くは近寄るのが危険な急斜面に建てられていた。

 一部はかなり風化が進んでいたが、岩陰に安置されたものは、彫りがまだしっかり残っていた。

 なかなか面白い山だった。