道標はあるが道はない
−四方原山−

【年月日】

2024年9月13日
【同行者】 単独
【タイム】

乙女の森(9:42)−四方原山(10:57-11:31)−乙女の森(14:00)

【地形図】 海瀬 十石峠 ルート地図(ルート後半欠落)

 乙女の森のあずま屋があるところから林道を通って、キャンプ場跡のようなところを行く。
 「四方原山登山道 頂上まで3.5km」という道標があるのだが、それらしき登山道はない。

ベニヤマタケ
シロヌメリイグチ

 ヤブのない急斜面を登って、尾根の上へ。
 尾根上には踏みあとがあった。

 しばらく行くと、大岩。
 踏みあとは東側についていたので簡単に巻けるかと思ったのだが、行き詰まった。
 ここは、尾根に登り返して岩を登る。

 岩尾根の上は白い苔が密生していて、展望が開ける。
 とはいえ、名のある山が見えるわけではない。

 岩からはクライムダウンになるが、怖いほどではない。
 一転して穏やかな尾根歩きになる。

 尾根は雑木・アカマツ・カラマツが生えていて、足元には、ベニヤマタケ・シロヌメリイグチ・アイシメジ・タマゴタケ・ウスヒラタケ・ヒメベニテングタケ<など。
 タマゴタケを一本だけ、お昼用に摘んでいった。

サンゴハリタケ
タマゴタケ

 1281ピークは西側を巻く。
 ここは明瞭。

 その先で、広い尾根に合流。
 かなりイヤな急登をこなすと、展望地。
 荒船山塊らしい尾根と新三郎あたりが見えた。

 急登はこれで終わりでなく、ツツジの生えたヤセ岩稜の登りになる。
 ツツジのために足元がよく見えないので、ここは慎重に。

 これを登り切ると再び穏やかな尾根になる。
 1564ピークを過ぎてしばらくでヤブっぽくなり、タラノキが出てくると、廃林道に出た。
 林道が尾根に出るところからも登れるという情報があったので、少し東へ歩いてみたが、ヤブの中から「グルグルゥー」という剣呑な唸り声が聞こえたので、林道を行くのはやめて、平坦なヤブに突入した。
 このあたりには踏みあと皆無で、どこが山頂かまったくわからない、ほぼ平坦なところなので、難しかった。

ハナイグチ
タマシロオニタケ

 尾根っぽいところに出ても基本的にヤブで、GPSがないと手も足も出なかったと思う。
 栂峠方面からの道もあるはずだと思ったが、その道もほとんど消えかかっていた。

 かなり苦労して山頂。
 ここで大休止。

 ヤブに懲りたので、やはり林道に行こうと思い、東へ向かったが、この道はやはり廃道で、結局ヤブこぎになった。
 しかし、平坦地を行くよりはマシだったと思う。

 基本的には来た道を戻って下山した。

ヒメベニテングタケ
竜興寺

 下山後、大日向の竜興寺へお礼参り。

 ここは、1884年11月7日に秩父困民党が宿泊した地である。
 説明板には秩父事件に関する記述とともに、大日向村開拓団についても書いてあった。

 そういえば、北相木村以南はどこもレタス畑が広がっているのだが、ここは基本的にどこも水田で、明らかに雰囲気が異なっていた。

開拓団鎮魂碑
秩父事件散華の地

 さらに、東馬流の古戦場跡へ。

 菊池貫平と井出為吉の像は、やや傷みが出ているように見えたが、散華の地の碑はきれいに手入れされてあった。
 地元以外の戦死者の記名スペースが空けてあるところに、佐久の人びとの思いやりを痛切に感じる。

名もない戦死者
黒澤酒造

 黒澤酒造さんに立ち寄ったのち、十石峠方面へ戻った。
 このところ、夕方以降にスコールがあるので峠越えの最中に降り出したらアウトだと心配したが、たいした降りにはならず、助かった。
 とはいえ、自宅に着くころにはひどい雨になった。