−御陵山− |
【年月日】 | 2024年7月31日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
馬越峠(8:11)−御陵山(9:33-10:08)−馬越峠(11:18) |
【地形図】 | 信濃中島 御所平 ルート地図 |
朝出発しても間に合うのだが、前夜発、高速経由で出かけた。
尾根に上がると、カワラナデシコが目に入る。
登り下りもほとんどなく、おおむね平行移動。
標高があるので、そこそこ涼しく、ちょっと汗ばむ程度。
送電鉄塔でやや展望がひらけるのだが、曇っていて天狗山さえ見えなかった。
御陵山の祠のあるところまで、さほどかからなかった。
大休止していたら、ガスが少し晴れてき、天狗山が見えてきた。
この日はできれば南相木村で竿を振りたかったのだが、フィッシュパスのアプリを使っても釣り券を買うことができなかった(南佐久漁協のページを開いてもカートがあらわれない)ため釣りは諦めて、北相木村経由で帰宅することにした。
南相木村と北相木村ができたのは永禄8(1565)年とある。これはすごいことで、佐久地方が武田信玄の支配下に入ったころだから、450年ほどの歴史がある。 不戦の像の建つこの場所は、出征兵士を送った場所だという。台座の銘文を読む。
過ぎし戦いの日 ここ別れの松の下で 征途につく若者たちが 万感を胸にいだいて 愛する家族や村人に別れを告げ その多くが帰らぬ人となった。 戦争のいたましさを忘れまいという決意を感じさせる。 次に、北相木村の諏訪神社へ。
北相木村の自由党員、菊池貫平と井出為吉は、明治17年10月末、秩父郡三沢村の萩原勘次郎に招かれ、国会開設運動に参加するつもりで秩父に向かった。
1984年10月28日に、貫平宅にほど近い、北相木村の諏訪神社に「自由民権の雄叫び」と題された立派な石碑が建立された。
最後に大龍寺へ。
明治初年は、知識に餓えた若者たちが集団で学ぶ時代だった。
すっかり晴れて、高台に建つ大龍寺の山門からは、御座山の勇姿が望まれた。
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