地侍小世界
− 田口城址と龍岡城址 −

【年月日】

2022年11月25日
【同行者】 単独
【タイム】

五稜郭であいの館(11:45)−田口城址(12:27-12:56)−五稜郭であいの館(13:24)

【地形図】 臼田 信濃田口 ルート地図

 五稜郭であいの館に自動車をとめて、集落内の細い道を行く。
 人家のわきを抜けるとすぐに山懐で、墓地とヤダケのヤブがある。

 展望台への道標に従ってジグザグに登っていく。
 傾斜はさほどでない。
 尾根の直下に岩を構えるが、さほど堅固でもない。

 尾根の上には車道が登ってきている。
 車道から外れて三角点のわきを登っていくと、曲輪のあとに出る。
 思わず声が出てしまったほど、広くて立派な曲輪が何段にも築かれていて、驚いた。

 この城を築いた田口氏について、詳しいことはわかっていないようだが、ともかく武田氏の佐久侵攻に伴って滅ぼされたのは確からしい。
 佐久は、米どころだ。
 と同時に、上田や小県への戦略的要地でもある。
 信玄にとって、佐久地方の土豪との闘いは甲信を支配する大名へ飛躍するための、不可欠のプラクティスだった。

田口城址
本曲輪

 少し下ったところに五稜郭展望台。
 龍岡城址の小学校が、眼下に見える。

 龍岡城はきわめて新しい城で、慶応三年に竣工。
 写真がたぶん存在しないので、城のようすはうかがい知れないが、巨大なものでなかったことは確かだろう。
 とはいえ、五稜郭というデザインは秀逸で、藩主松平乗謨のセンスが感じられる。
 残念だったのは完成後すぐに要職を務めていた幕府が倒れ、わずか五年で取り壊されたことだ。
 城趾の小学校から、子どもらの声が聞こえているのは、好ましかった。

 本曲輪を越えたところに空堀があり、小さな建物があった。
 ここで大休止。

 浅間山が見えるところがないか、少し歩いたが、なさげなので、もと来た道を戻った。

五稜郭
新海三社神社三重塔

 少しまだ時間があってので、新海三社神社を再訪。
 ケヤキ大木や三重塔を拝観した。

 新海三社神社は田口氏の氏神で、登り口にある蕃松院が氏寺か。
 信玄は、箕輪城攻めに際し、新海三社神社に願文を差し入れているが、滅ぼした相手の守り神に頼み事をするなんて、ちゃっかりしたものだ。

上宮寺仁王像
上宮寺仁王像

 今回は、少し離れたところにある上宮寺にも立ち寄った。
 こちらは、新海三社神社の別当寺。

 閑散としたお寺だが、梵鐘と仁王像は、戦国時代のものといわれ、仁王像には実際、そんな風格があった。